72. 歩一会大運動会を開催 1941年(昭和16年)
松下電器歩一会の春季運動会は、昭和13年に中止されただけで、年々盛大となった。昭和14年には体育大会と改称、昭和15年には、人数も約8千人に達したので、甲子園球場を借り切って、5月5日の創業記念日に挙行された。1社が広い球場を借り切り、しかもみごとに統制の取れた体育競技を演じたので、人々は驚いた。
昭和16年には、会員もさらに1万人に増え、5月18日、再び甲子園球場で開催された。昭和6年の第1回から数え、これは第10回目に当たる。時に、戦時色が強まる中で、国民的意識も高揚し、この第10回体育大会は大運動会と呼ぶにふさわしく盛況を極めた。
第1回の感動を思い出しつつ、社主は開会の辞を述べ、「われらは、産業人としてその責務の重大さを痛感するとともに、われわれの体力の健全なることが、いかに国家建設に重要なるかを自覚しなければならない」と全員を鼓舞した。続いて、次から次に、団体競技が会場いっぱいに繰り広げられた。その華麗さと一糸乱れぬ統一美は、軍関係の来賓を感嘆させ、5万人の大観衆を魅了したが、その後戦争が激化し、これが最後となった。