127. 「5年後に欧州を抜く賃金を」と発表 1967年(昭和42年)
40年不況を越えて、日本経済は同年後半から戦後最長のいざなぎ景気へと移行し、いよいよ経済大国の道を歩み始めた。
しかし、好況が続くにつれて、社内の各層に再び過去の惰性で仕事をする姿が見られることを会長は憂慮した。そこで、昭和42年1月の経営方針発表会で、「多少の余裕のできた今こそ、日本国民は根本的に反省し、再出発をするときである」と警告し、同時に松下電器の進むべき道を示した。
このとき、理想を描いて進むことが大切であるとの信念から、昭和35年に「週5日制」の構想を発表し、実現した例に触れたあとで、「今後は5年先に、他との調和を失することなく、松下電器の経営および松下電器の賃金を、欧州を抜いてアメリカに近づけるようにもっていきたい」と提唱、「これは産業界にいい影響を与えると思う。松下がやれるならばわれわれもやろうということになり、いわば産業界に黎明(れいめい)をもたらすことにもなる」と全員の奮起を促した。
4年後の昭和46年に、松下電器の賃金は、欧州の中でも一番賃金が高いといわれる西ドイツと肩を並べ、5年後には欧州を抜きアメリカに近づくまでになった。