133. 「過疎地に工場建設を」と発表 1968年(昭和43年)

昭和40年代の高度成長により、日本は自由世界の中でGNP第2位の地位になったが、反面、新たな問題が起こった。その1つが過疎過密の問題である。地方からの人口流出、都市部への人口集中は進み、国も地方自治体もその対応に頭を悩ませていた。

早くから「バランスのある姿こそが真の発展にとって重要である」との信念をもっていた会長は、地方へ行くたびに、その現実に触れ、心を痛めた。

昭和43年10月に高知県を訪れた際にも、地元の人々から、過疎化の不安を強く訴えられて、「過疎問題は政府が取り組むべきものであるが、民間企業としても、この問題の解決にできるだけ協力すべきである」と思うに至った。

そこで、昭和43年12月、「現在の日本の実状を思えば、一時的に多少利益が少なくなっても、企業としては過疎に悩む地方に工場を建設するのも大切である」と述べ、最も人口減少の激しい鹿児島県への工場建設を発表した。これに対して地元から感謝の電報が寄せられる一方、マスコミにも朗報と報じられた。