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開発者は松下幸之助

「アタッチメントプラグ」から
「ナショナルランプ」まで

1918~1927

パナソニックのものづくり、それは松下電気器具製作所の配線器具事業で始まった。1号製品は、創業の年、1918(大正7)年に松下幸之助自身が開発した改良アタッチメントプラグである。これを皮切りに、1927(昭和2)年発売のナショナルランプに至るまで、幸之助は創業期の銘品を次々生み出していく。

アタッチメントプラグ(通称アタチン)は、当時の家庭で電源の役割を果たしていた電灯用ソケットから電気をとるための配線器具である。幸之助は既存のアタチンに改良を加え、高品質で市価より3割安い製品を開発した。アタチンはソケットにねじ込んで使用する。したがって、ねじ込みの精度が品質の要となる。幸之助は、一流メーカーの古電球のねじ込み部分を再利用した。一流品なのでもともと精度は抜群、しかもリユースなのでコストが下がる。まさに一挙両得であった。
続いて幸之助はさまざまなプラグやソケットを考案し、市場に投入していった。巷で二股ソケットと呼ばれた二灯用クラスターもその一つである。

改良アタッチメントプラグ(1918)
二灯用クラスター(1920)

創業から5年後の1923(大正12)年、幸之助は自転車用電池式ランプの開発に着手する。かつては自転車屋の小僧、やはり自転車に愛着があったのだろう。さらに、自転車の普及と当時の灯火の不便さに、幸之助は「需要あり」と確信する。電池と豆球の組み合わせを変えて、昼夜を問わず100回近く試作を繰り返し、かつてない点灯時間の砲弾型電池式ランプが完成した。
だが、自信をもって問屋に紹介するも、総スカンを食らってしまう。電池式は粗悪品(実際そうした製品が多かった)、問屋はこの先入観に染まっていたのだ。
在庫の山が積まれていく。窮地に陥った幸之助は思い切った方法に打って出た。問屋がだめなら小売店にこのランプの良さを分かってもらおうと、完成品を無償で配布、さらに「実際に灯してみてくれ」と実物宣伝を決行した。
これが功を奏した。まず小売店が性能を認め、そこから火が付きヒットにつながっていった。それが、このランプの1号機である。

砲弾型電池ランプ(1923)

時は流れて時代は昭和に入った。1927(昭和2)年、幸之助はランプの新製品を発売する。コンパクトな角形で、手提げ用としても使えるようになったこのランプに、幸之助が初めて用いたのがナショナル商標だった。
ナショナルの字義どおり、このランプを“国民の必需品に育てたい”、こうした思いで「ナショナルランプ」と命名した。発売に当り、幸之助は初めて本格的な新聞広告を打った。「買って安心、使って徳用、ナショナルランプ」。これが、幸之助が練りに練って出来上がったキャッチコピーであった。ナショナルランプはやがてランプの代名詞となり、日本中をくまなく照らしていく。

角形電池式ランプ「ナショナルランプ」(1927)

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パナソニック ミュージアム