“脱炭素社会”の急先鋒へ

2度の開発中断

中央研究所が燃料電池の基礎研究に着手したのは1950年代の終わり頃で、1961年には東京国際見本市に試作機を出展し、その後、独立電源として海上保安庁のブイや、各地の灯台で使用されるようになった。しかし、その頃の燃料は石油と関わりがあったため、1970年代に起きたオイルショックによる原油価格高騰で、この方式を断念せざるを得なくなった。
けれども、これで研究開発の火が消えることはなかった。むしろ、「化石燃料の枯渇や地球温暖化の解決のためには燃料電池は不可欠である」と技術者は強く認識し、さまざまな方式を模索し続けた。
1991年、松下電池工業で固体高分子形燃料電池の研究を開始。ここに「もうガスを燃やすだけという時代ではない」と考えて、次世代エネルギーを模索していた松下住設機器研究所のガス機器の専門家が加わり、総勢5人のチームで“燃やさないエネルギー”の開発に着手。手作りの実験を重ねて発電機のシステムを組み上げ、“化学反応による発電”を実現させた。しかし、このクリーンなポータブル発電システムの具体的な用途が見つからなかったため、バブル崩壊後の不況下で先行投資を続けることができず、1995年に開発チームは解散を余儀なくされた。

「松下電器テクニカル・ニュース」で紹介された
燃料電池の新聞広告(1966年)
「水素と酸素から電気と熱を創る」燃料電池の仕組み

エコの時代を先取り、全社プロジェクト発足

1997年の京都議定書の採択を機に、人々のエコ意識は急速に高まった。その追い風を受け、1999年に固体高分子形燃料電池が当社のフラッグシップ・テーマとして掲げられ、本社に「FCラボ」が設立、2001年全社から化学、電気、機械など様々な分野の技術者が集結し「燃料電池事業化プロジェクト」が発足した。
しかし、開発の道程は決して平坦ではなかった。2002年に製作した試作機の発電耐久時間は、わずか72時間、とても製品と言えるものではなかった。改良のため試作とテストを繰り返す中本社の研究所で長年蓄積されてきた研究データが活用される機会が幾度もあった。時を超えた総合力の発揮である。そして2年後の2004年には発電耐久時間2,000時間を実現。2005年から約1,000台の大規模実証実験が始まり、その1号機は首相公邸に納入された。2007年には発電耐久時間40,000時間を達成し、翌年当社は世界初の家庭用燃料電池を完成。2009年に全メーカー共通で「エネファーム」という名称がつけられ、東京ガスより一般販売が開始された。

家庭用燃料電池コージェネレーションシステムの広告
(2008年)
家庭用燃料電池の出荷式(2008年)
ENE・FARM
家庭用燃料電池 「エネファーム」1号機

環境に配慮し、災害時に逞(たくま)しい製品へ

その後も、パナソニックのエネファームは業界をリードして行くが開発のスピードを緩めることはなかった。
当初、エネファームは環境をコンセプトに開発された製品で、災害時の使用は想定されていなかった。そのため、稼働には電力を使用しており、停電すると発電が停止していた。しかし、2011年に発生した東日本大震災による計画停電により、開発陣は自ら発電した電力で稼働する設計が必要であることを認識、停電時発電継続機能を開発し、2015年度にそれを本体に組み込んだ製品が誕生した。このモデルは停電時、最大4日間連続稼働し、電気とお湯を供給する。また、発電の際に発生する60℃~80℃の熱を利用して、約60℃のお湯を最大130L貯湯、停電時でもお風呂に入ることが可能である。さらに、2017年度モデルより貯湯タンクに水取り出し栓を設置、災害時にトイレの流水にも使える水を取り出しやすくした。開製販一体の組織で、お客様のお困り事を素早く汲み上げ、製品開発に反映してきた成果である。
そして、2021年4月に、生産累計20万台を達成。当社は家庭用燃料電池を世界で一番長く、一番多く世の中に送り出している企業として、2030年のカーボンニュートラルの実現に向けて邁進していく。

※2019年度モデル以降は、停電時最大8日間の連続稼働を実現

停電時発電継続機能で、万一の場合にこれだけ使える
断水時は、貯湯タンクのお湯を雑用水に使える
家庭用燃料電池 「エネファーム」2021年度モデル

<動画>エネファームの仕組み紹介

<動画>「いつも」も「もしも」の時にもエネファーム

<動画>「もしも」の備えもエネファームがあれば

<動画>「快適」「便利」「環境」もエネファーム

<展示解説動画>

(左から)家庭用燃料電池ユニット「エネファーム」初号機、2021年度モデル

(左から)家庭用燃料電池ユニット「エネファーム」初号機、2021年度モデル

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