ここにも古関メロディーが~よみがえる松下電器行進曲~

2020年、NHK朝の連続テレビ小説「エール」で日本中に名を知られるようになった作曲家の古関裕而さん。この稀代の作曲家が提供してくれたメロディーが、かつて松下電器にも毎日鳴り響いていました。
1952年から2008年のパナソニックへの社名変更時まで、全国の事業場で夕会時に歌われた松下電器行進曲「月日とともに」がそれです。パナソニックミュージアムでは、社内に保存されていた古関さん自筆のピアノ伴奏譜を特別展示するとともに、この楽譜に基づく演唱会も実施しました(2020年8月30日)。
その特別展示と演唱の記録をここに紹介します。

写真:松下幸之助歴史館での展示の様子

2020年7月23日から同年末まで行われた特別展示(松下幸之助歴史館・ライブラリー)

「なにとぞ永くご愛唱くださいますよう、作曲者としてお願いいたします」
こう記された手紙が、松下電器行進曲「月日とともに」のピアノ伴奏譜とともに当社に届いたのは、1951(昭和26)年6月のこと。送り主は朝の連続テレビ小説ですっかり有名になった、20世紀の日本を代表する作曲家、古関裕而さんでした。

戦後の混乱を脱した松下電器は、この年、再建への道を歩み始めます。松下幸之助は年頭の経営方針発表会で「新しく開業する心構え」を説くと、直ちに初のアメリカ視察に旅立ちました。こうした上昇の機運をさらに盛り上げようと、社歌とは別に、新しい歌を行進曲のスタイルでつくる企画が持ち上がります。

まず歌詞の社内公募が行われ、集まった86編の中から、第二事業部・灯器(ランプ)工場勤務の山田博夫さんの作品が選ばれました。山田さんは「感じたことを率直に表したかった。どう表現しようか、どんな言葉がいいか、寝床に入ってからも一生懸命考えた」と社内新聞に語っています。その歌詞に、古関さんが新生の歌にふさわしい旋律をつけてくださったのです。

行進曲歌詞カード。作詞は第二事業部・灯器工場の山田博夫さん。曲の完成に合わせて「月日とともに」のタイトルが付けられた

作曲者・古関裕而さんから届いた自筆のピアノ伴奏譜

この行進曲は翌年から日本全国の事業場で夕会時に斉唱されるようになり、それが50年以上にわたり、パナソニックヘの社名変更の前日2008年9月30日まで続きました。数ある古関メロディーのなかでも、これほど永く、しかも毎日歌われた歌は、そうはないでしょう。

パナソニック合唱団、ジャズピアニストとしても活躍する当社参与の小川理子さんによる演唱(2020年8月30日、於松下幸之助歴史館)

写真:松下電器行進曲レコード

これは実際に松下電器・北陸営業所(金沢市)で使用されていた行進曲のレコードです。音源は1961年に日本ビクターのスタジオで録音されたもの。当時、日本ビクターは松下電器のグループ会社の1つでした。
松下電器の社章である「三松葉(みつまつば)」とビクターの「犬のマーク」がレコード盤上に共存しています。保存袋の記述によると、同営業所が、朝会・夕会用にこのレコードを1968(昭和43)年7月31日に入手したことがわかります。レコードは1946年に制定された三代目の社歌とのカップリングですが、「社歌」の文字が横線で消されています。このことから、四代目社歌が誕生した1973年以降も、夕会でこの盤が使われていたことが分かります。

こちらは曲が完成して間もなく、1951年11月にテイチクスタジオで吹き込まれた最初のレコード

写真:松下電器行進曲、最初のレコード

幻のメロディー

ところで当社には、ピアノ伴奏譜とともに、草稿と思われる鉛筆書きの楽譜が2編保存されています。ドゥア(明るい長調)とモール(哀調を帯びた短調)、まったく曲想の異なる旋律ですが、当初、古関さんはこれら2つを提示してくれたものと思われます。

お薦めは、やはり明るいドゥアであったようです。楽譜の余白には、音域や歌い方、さらには前奏が「平和の鐘」をイメージしていることなどが細かく記されています。では、なぜこのメロディーが採用されなかったのでしょうか。
パナソニック合唱団のあるメンバーはこう推測します。「『平和の鐘』で始まるドゥアは優雅で格調高い。だが人によっては歌うのが少々難しい。それゆえ、だれもが明るく歌えるメロディーを再度依頼し、それに古関先生が応えてくれたのではないか」と。

つまり松下電器行進曲には採用されたメロディーのほかに、幻となったメロディーが2つ存在したのです。これら2つの幻のメロディーも、手書きの草稿をもとにして、演唱されました。

関連リンク

パナソニック ミュージアム