3. 紀ノ川駅から大阪に旅立つ 1904年(明治37年)

晩秋の紀ノ川駅で母と別れ、1人大阪行きの汽車に乗ったのは、明治37年11月23日、幸之助が満9歳の時だった。大阪で働いていた父からの手紙で、丁稚奉公に出ることになったのである。尋常小学校4年生で、小学校もあともう少しで卒業という時だったが、彼は別にこだわりもなく、奉公に出ることを承知した。

当時、日露戦争は激しさを加えており、前途のおぼつかなさが母の胸を締めつけた。駅で、母は、大阪へ行く乗客に、「幼い子どもですが、あちらに着けば、父親が迎えに来ていますので、どうか途中よろしくお願いします」と懸命に頼んだ。

彼は、母と別れる悲しさもあったが、初めて汽車に乗れるうれしさもわいた。それにまだ見ぬ商都大阪へのあこがれや父との対面も思われて、悲喜こもごも言い知れぬ思いにひたっていた。

目に涙を浮かべて「体に気をつけてな。先方のご主人にかわいがってもらうんやで」とこまごまと言ってきかせる母の姿…。その時の情景は、いつまでもまぶたに焼きついて離れなかった。