4. 火鉢店に奉公 1904年(明治37年)
最初の丁稚生活は、大阪市南区八幡筋にあった宮田火鉢店から始まった。
ここでの仕事は、朝早く起きて、拭き掃除をし、子守りの合間に火鉢を磨くことであった。火鉢の上等下等によっていろいろな磨き方があったが、初めペーパーで磨き、それからトクサをかけて仕上げをする。高級なものになると1つに1日中トクサがけをやらされたので、彼の手はたちまちすりむけてはれあがった。
冬のことであったから、朝の拭き掃除の時に、水がしみて彼は困った。しかし、和歌山の家でも相当な困窮生活を強いられていたから、彼はそれほどつらいとは思わなかった。
夜、店が閉まって寝床に入ると、しきりに母のことが思い出されて、つい涙が流れた。その後、時々母が恋しくなり、寝床の中で泣く“泣きみそ”の自分を、幼い彼はどうすることもできなかった。