13. 大阪電灯に内線見習工として入社 1910年(明治43年)
桜セメントに勤めてから約3ヵ月たって、大阪電灯の幸町営業所で内線係に欠員ができ、幸之助はようやく同営業所の内線見習工に採用された。満15歳の秋、彼はいよいよあこがれの電気事業へと第1歩を踏み出したのである。
内線係は、各家庭を回って、電灯増設のための屋内配線工事をした。見習工の仕事は、その助手として、工事担当者のあとから材料を積んだ丁稚車を引いて行くのである。丁稚車は、なかなか軽便にできていたが、ちょっとした荷物を積むと、引くのに骨が折れた。ところが、彼はそれまでに桜セメントで運搬工をやって相当に鍛えられていたから、それほどつらいとも思わずに働いた。むしろ5、6軒回れば、1日の仕事も終わり、午後4時ごろには会社に帰れることや、さまざまの需要家に接することができる点などに興味がわいて、毎日喜々として働いた。
彼は飲み込みも早く、入社後わずか3ヵ月で見習工から工事担当者に昇格し、新設の高津営業所に転属を命じられた。