14. 鰻谷の住友本邸の門前で 1911年(明治44年)

大阪電灯の高津営業所の近くの鰻谷に、住友家の本邸があった。幸之助は、工事の途中、よくその門前を通った。

当時、住友家といえば、三井、岩崎と並び称せられる日本有数の大富豪であり、もちろん関西随一の大金持ちだった。その本邸は実に豪壮で、大きな門構えには近寄りがたい雰囲気があった。彼は、その門前を通るたびに、その立派さに驚いていた。まさか将来自分がその家の中に招じ入れられるなどとは夢にも思わず、いわば無縁のものとして、その門前を通っていた。

その後30年余りたって、事業も拡大し、住友銀行との関係も深まってから、彼は夫妻で住友家から一夕の招待を受けた。その場所がこの鰻谷の屋敷だった。すでに住友本邸は芦屋に移りここは別邸になっていたが、彼は昔のことをしのび、感慨無量の思いで、門をくぐった。