16. 関西商工学校夜間部に入学 1913年(大正2年)

幸之助は、満16歳から満20歳の結婚までの間、下宿生活を送ったが、その同じ下宿に非常に勉強好きの同僚がおり、当時夜学としては大阪で唯一の勉学機関だった関西商工学校に通っていた。高等小学校を出ただけだが、達筆で、頭も良い。彼とは同年輩で、うまが合った。

その同僚が、彼にも関西商工学校に通うことをしきりに勧めた。もともと仕事が好きで、その方に毎日心を奪われていたので、学校に行くことなど、彼は考えたことがなかったが、そのうちに、同僚が勉強をしてぐんぐん伸びていく姿を見て、内心うらやましくなった。

そんなことが刺激になって、彼も満18歳の年に関西商工学校夜間部予科に入学した。それから1年後に予科を修了し、いよいよ本科の電気科に進んだ。ところが、本科はすべて口述筆記である。尋常小学校を途中でやめざるをえなかった彼には、残念ながら筆記ができない。やむなく退学した。

一方、仕事の面では、彼の有能さが重宝がられ、大きな電灯工事で釆配を振るう機会が多くなった。