17. 芦辺劇場の電灯工事を担当 1914年(大正3年)

南の演舞場の新装工事や通天閣の電灯工事など、幸之助が担当した仕事は多いが、なかでも千日前芦辺劇場の電灯工事は、いまだに忘れられない。

その当時、映画は活動写真と呼ばれ、非常な勢いで流行していた。その風潮を反映して、旧来の芝居小屋が次々と映画館に改装されたが、芦辺劇場もその1つである。その工事に3組の工事人が行くことになったが、彼はその3組の総責任者を命じられた。劇場工事は初めてのことであり、彼は持ち前の責任感で、約6ヵ月にわたる工事期間中、息を抜く間もないほどこの仕事に打ち込んだ。

しかし、年末開館の日が近づいたが、試点灯が数日遅れそうである。彼は開館日に間に合わせるために、最後の3日間は徹夜作業を決行することにした。彼は一睡もせず頑張り通して、開館2日前に無事試点灯をすませた。

時は12月、屋外工事でもあり、寒さが身にこたえ、生来体が弱かった彼は、ほどなく肺尖カタルにかかってしまった。