32. 代理店制度を実施 1923年(大正12年)

砲弾型電池ランプに対する思い切った実物宣伝により、大阪府下での販売は一応軌道に乗ったが、全国的にはいまだしの状態であった。所主は、全国的な拡売を志したものの、ほかの都市に対して、大阪と同様の方法で直接販売していくのは、人手や資金の面で不得策であるとの考えから、各地に特定の代理店を設けて、一定区域内の販売を一任することとし、新聞で代理店募集を行った。

これにより、奈良、名古屋をはじめとして各地に代理店ができ、発売当初、問屋に敬遠されたランプも、6ヵ月後には代理店になるために保証金を出すというほどに、その評価は変わった。

小売店取引から問屋取引に移行した大阪地区についても、山本商店との間で大阪府下の一手販売の代理店契約が結ばれた。山本商店は、化粧品の製造卸とその輸出を本来の業としており、松下よりはるかに規模も大きく、信用もあった。主人の山本武信氏は、根っからの大阪商人で、商売の進め方や考え方において、所主に大きな影響を与えた人物である。