53. 事業部制を実施 1933年(昭和8年)

昭和8年5月、所主は、独自の発想による「事業部制」を実施した。工場群を3つの「事業部」に分け、ラジオ部門を第1事業部、ランプ・乾電池部門を第2事業部、配線器具・合成樹脂・電熱器部門を第3事業部とする製品分野別の自主責任体制をしいたのである。

これにより、各事業部は、それぞれ傘下に工場と出張所をもち、研究開発から生産販売、収支に至るまで一貫して担当する独立採算の事業体となった。こうした組織体制をもつ会社は、他に例がなく、これは松下にとって画期的な機構改革となった。

事業部制は、昭和2年に電熱部を設置した際に萌芽がみられる。この時、所主は生産販売に関する一切を責任者に一任する方法をとった。その後も、ことあるごとに人に仕事を任せてきた。任せると、人は存分に創意と能力を発揮し、大きな成果を生んだ。事業部制を採用したのも、こうした体験があってのことである。

所主は、事業部制の狙いについて、「自主責任経営の徹底」と「経営者の育成」の2つがあると指摘した。事業部制は、この2つの面でその真価を発揮し、松下電器が今日の大をなす要因となった。