65. 加藤大観師と同居 1937年(昭和12年)

加藤大観師は、かつて山本武信氏の顧問役として、常に松下との交渉の場に同席していた。大正15年に山本店主との契約を解消したのち、会うこともなかったが、4、5年ほどたって、ふと思い立ち、社主は京都の大観師宅をたずねた。それからは、迷いがあれば、師に相談し、意見を求めることが多くなった。ある日、師は、「あなたが承知してくれるなら、この庵を閉じて、あなたのために一生をささげたい」と言い、社主を驚かせた。師の決意は変わらず、その後もたびたびそう言うのである。

これが縁となり、昭和12年12月、社主は師夫妻を京都の家に迎えた。その後1年余りして、師は会社の中に居を移し、以来昭和28年2月、満84歳でなくなるまで、毎朝夕2時間ずつ、社主の健康と会社の発展を祈って勤行し続けた。

師は真言宗醍醐寺で得度修業し、ついには権大僧都になったほどの高僧であり、社主は多くを教えられたが、すべてその助言通りに事を運ぶことはせず、それを咀嚼(そしゃく)して、自らの見識を高め、決断を下した。大観師は、いわば社主の良き軍師の生涯を貫いた人である。