67. 高野山に物故従業員慰霊塔を建立 1938年(昭和13年)
社主は、大正15年に山本武信氏の招待で、高野山に参詣して以来、心引かれるものを感じ、いつかこの霊域に、物故従業員の慰霊塔と先祖の墓碑を建てたいと考えるようになった。
昭和11年春、たまたま旧主五代五兵衛翁(五代音吉氏が昭和3年に第6代目五代五兵衛を襲名)と一緒に高野山に参詣した時、翁は社主に墓所建立を勧めた。社主がかねての思いを話すと、翁は喜び、自ら墓地を物色し、奥の院参道、中の橋に近い幽明の地を選定してくれた。
こうして、昭和11年6月に起工供養、昭和13年9月21日に、西禅院院主導師のもと、慰霊塔の開眼法要が営まれた。
以来、松下電器は毎年9月、秋の彼岸のうち1日を選んで、高野山西禅院本堂において過去1年間の物故従業員の合祀祭と慰霊法要を挙行している。