68. 「3つの心得」を通達 1939年(昭和14年)
日本は大きな変動期を迎えていた。昭和11年の2・26事件を転機として、軍部が政治に関与し、国防の名のもとに、大規模な軍備拡張を図り、11月にはナチス・ドイツとの間に、日独防共協定を締結し、昭和12年7月、蘆溝橋事件を発端に日中戦争(支那事変)が勃発、日本は戦時体制へと突入した。昭和12年9月には、「統制三法」が、昭和13年4月には、「国家総動員法」が公布され、ついに軍需生産最優先の時代が訪れた。
このとき、社主は本来の事業である電気器具の生産をできる限り維持することに努力しつつも、戦時体制の企業の生き残る道として、やむなく軍需生産にも分に応じて協力することにした。
しかし、社主は、戦争のために事業本来の目的を見失い、また軍需生産の進出により経営が放漫に流れるのを戒め、昭和14年3月16日、「経営の心得」「経済の心得」「社員指導及び各自の心得」を通達した。「経営といひ商売といひ、これ皆公事にして私事にあらず」に始まるこの「3つの心得」は、激動する情勢下において、一条の光となり、全員の心を支えた。