69. テレビの公開実験に成功 1939年(昭和14年)
松下電器のテレビの基礎研究は昭和10年末にさかのぼる。当時、浜松高等工業学校が研究開発した電子管使用の受像方式を採用して、実用化の研究に着手、昭和13年1月には、モノスコープによる送像装置を完成、有線送受像に成功した。同年4月には、12インチブラウン管使用のテレビを試作、これに次々と改良を加え、昭和14年5月、東京放送会館と日本放送協会の技術研究所間の無線伝達試験に成功した。
このテレビ受像機は、この年の7月、特許局陳列館で開催された電気発明展覧会で、一般に公開された。当時の社内新聞は、この展覧会を「日本で初めてのテレビジョン競演の豪華版」と報じている。ここで、松下電器のテレビ受像機は、他社のテレビに先駆けて、実験放送の電波を完全にキャッチし、成功を収めた。
昭和15年に東京でオリンピックが開催されることが決まり、業界はあげてテレビ開発に取り組んでいた。しかし、その後、戦争のためオリンピックは中止となり、テレビ放送も実現しなかった。そのために、このテレビは戦前には日の目を見ず、家庭に入るまでには、さらに戦後数年の経過を必要とした。