70. 第1回経営基本方針発表会を開催 1940年(昭和15年)
昭和14年9月、ドイツ軍がポーランドへの侵攻を開始、第2次世界大戦が勃発した。日本においても戦時体制はいよいよ強化され、10月の「価格等統制令」、昭和15年7月の「奢侈品等製造販売制限規則」などにより、民需生産は大きな制約を受けるようになった。
こうした情勢の中で、社主は、昭和15年1月、初めて「経営方針発表会」を開催し、「国策遂行のため全力をあげて協力しなければならないが、一般国民のことを思えば、わが社伝統の平和産業も重大である」と訴えた。
国策の赴くところにより、松下電器も軍需品の生産を始めたが、しかしなお反面では一段と深刻化した資材の入手難と闘いながら、民需生産を続けた。しかし、商品の品質も悪化の兆しが見え始めたために、社主は、この年8月、「優良品製作総動員運動」を提唱し、すべての点で需要者の求めに合致する優良品の製造と不良品の絶滅を訴え、全員の奮起を促した。
なお「経営方針発表会」は、昭和9年ごろに始まった年末座談会を継承したもので、昭和15年を第1回として、以後、戎祭(えびすまつり)の吉例にちなみ、毎年1月10日に恒例の行事として開催され、その年の具体的な経営方針が明示されることとなった。