75. 軍の要請で松下飛行機(株)を設立 1943年(昭和18年)
「流れ作業方式」による造船工法に注目した軍は、ある日、社主を呼び出し、同じ方式で強化合板の「木製飛行機」を量産するよう要請した。やっと木造船建造の見通しをつけたばかりのときでもあり、また造船以上の困難が予想されて、社主は固辞した。しかし、なお「これは軍の決定だから、ぜひ引き受けてほしい」と言う。
国が危急存亡のときである。社主は無理を承知のうえで、やらねばならないと決心し、この要請を引き受けた。
昭和18年10月、松下飛行機株式会社を設立し、急きょ、大阪府住道に工場を建設した。労働力・設備・資材の極端な確保難を克服しつつ、わずか1年数カ月で、第1号機を完成、昭和20年1月31日、進空式を挙行した。その後、戦局は急速に悪化し、飛行機の生産も困難となったが、全員の懸命な努力で、終戦までに4機をつくった。
この飛行機の製造は、造船とともに、分野外の事業であっても、全員が一体となって当たれば、いかなる困難も克服できるという貴重な体験になったが、反面、戦後、松下電器が制限令を受ける因となった。