76. M矢の社章を三松葉に改訂 1943年(昭和18年)

戦局は次第に悪化し、緊迫感が広がっていった。もはや戦力の違いは明らかとなった。豊富な資源と巨大な生産力をもつアメリカは、緒戦こそ遅れを取ったものの、急速な立ち直りをみせ、やがて日本軍の占領地域に進攻、次々と失地を奪回し始めた。

総力戦を覚悟した軍は、経済統制をさらに強化し、国民生活を全面的に支配し始めた。

そうした中で、時局柄、英語の使用も制約を受けるようになった。M矢の社章は、社主が創業間もない大正9年に自ら案出したものであるが、ローマ字の「M」を使用しており、芳しくないとの声が起こった。社主は強い愛着を感じたが、思い切って改定することにした。

その後、松下電器の名からヒントを得て、昭和18年12月、現在の三松葉(みつまつば)の社章を制定した。これは常磐の松の結びを意味し、堅忍不抜、生成発展、協力一致の精神を象徴していた。