78. 太平洋戦争が終わる 1945年(昭和20年)

そのうちに、日本は連日、B29による空襲を受けるようになった。欧州では、三国同盟を結んだ日独伊のうちイタリアが、昭和18年9月、無条件降伏、昭和20年5月、ドイツも無条件降伏をした。

昭和20年に入り、日本本土への空襲が激化、東京は3月、4月、5月の大空襲をはじめ、前後102回の空襲で、関東大震災をはるかに上回る被害を受けた。空襲は全国206都市のうち98市におよび、死傷者約66万5千人、焼失家屋約236万戸、日本は文字通り焦土と化した。

松下電器も、大阪、東京地区を中心に32ヵ所の工場、出張所などを被災したが、幸い本社と主力の工場は残った。

6月、沖縄地上部隊が全滅、8月、広島、長崎に原子爆弾が投下され、そしてソ連の参戦、ついに日本は悲劇的な結末の日、8月15日を迎えた。

太平洋戦争によって、日本は、死者300万人を出し、国土の半分、国家資産の約4分の1を失った。加えて、精神的破壊ははかり知れないものがあった。