80. 労働組合の結成大会に進んで出席 1946年(昭和21年)
昭和20年8月末、マッカーサー元帥が指揮する占領軍は、日本進駐に当たり、GHQ(連合国総司令部)を設置、日本をその完全な統治下におき、次々と非軍事化と民主化政策を打ち出した。10月には、成立早々の幣原内閣に労働組合結成奨励を含む民主化5大改革を指令した。12月には、労働組合法も公布されて、戦時中抑圧されていた労働運動に火がつき、組織化が進んだ。しかし社長追放など過激な運動を起こす組合も多く、憂慮された。
松下電器でも、伝統ある歩一会に代わって、15,000人、42支部からなる松下産業労働組合(昭和22年に松下電器産業労働組合となる)が結成されることになり、昭和21年1月30日、大阪の中之島中央公会堂で、結成大会が開催された。
社主は、招かれないまま、進んでこの大会に出席し、祝辞を述べた。
「この組合の結成により、わが社の民主経営に拍車がかけられると思う。これを期して、全員一致して、真理に立脚した経営を行っていきたい。正しい経営と正しい組合は必ず一致すると信じる」
短いながらも、従業員に全幅の信頼を置いたこの訴えに、大きな拍手が起こった。この成り行きは、来賓の、労働運動の闘士たちにも予想外のことであった。