83. 公職追放除外嘆願運動が起こる 1946年(昭和21年)
昭和21年11月には、社主をはじめ常務以上の重役が旧軍需会社の役員として、公職追放の指定を受けた。社主は、財閥指定に対しては徹底的に抗議したものの、公職追放は旧軍需会社の役員全員に適用されるものであり、抗弁の余地がないと、一時は退任を覚悟した。
しかし、このニュースは従業員や代理店その他の関係先に大きなショックを与えた。「いま再建の支柱である社主を失うことは、松下電器の崩壊を意味する。社主の追放解除をGHQに要望しよう」という声が、期せずして起こった。誕生間もない松下産業労働組合は、社主の公職追放除外嘆願運動を開始し、組合員とその家族が署名した、15,000通からなる嘆願書を携えて、GHQや政府当局に陳情した。
当時は、経営者の戦争責任を糾問して、追放運動を起こす例が多かったときでもあり、松下産業労働組合の運動は政府当局に強い感銘を与えた。また、代理店、販売店の間からも除外嘆願運動が起こり、同じように陳情がなされた。
こうしたこともあってか、社主は昭和22年1月、無条件追放のA項指定から資格審査後に追放となるB項指定に変更され、さらに同年5月、異例の措置として追放指定を解除された。