85. 会社の苦境を従業員全員に訴える 1948年(昭和23年)
昭和23年後半に至り、財閥解体方針にもようやく緩和の兆しが見え始めた。しかし、インフレを抑制するために、政府がとった金融引き締めは、物価の上昇を鈍化させたものの、新たに深刻な資金難を引き起こした。その影響は松下電器にもおよび、この年の秋には、資本金4,630万円の松下電器が4億円の借入金、3億円の支払手形、未払金の重荷に苦しみ、10月から給与の分割払いを余儀なくされるという苦境に陥った。
その間、社長(昭和22年6月より社主の名称を社長と改称)は銀行からとくに2億円の融資を受け、経営の建て直しを図ったが、製品の公定価格の引き上げが予定より遅れたため、せっかくの資金もその穴埋めのために消えてしまうという事態が起こった。
そうした苦境の中で、迎えた年末である。このままで推移すれば、恒例の年末賞与も払えない。社長は、12月10日、「我社の興亡をかけて従業員諸君に切望す」という文書を発表した。その中で、社長は年末賞与を支給できない会社の苦境を率直に申し述べ、「経営を堅実化し将来の飛躍にそなえるならば、前途は明るい」と訴えた。