87. 緊急経営方針発表会を開催 1950年(昭和25年)
国民の期待も空しく、日本経済の自立には、まだ遠い道のりが残されているかに思われた。そこに、昭和25年6月25日、突如、朝鮮戦争が起こった。日本は戦場に近いこともあって、朝鮮戦線に出動する国連軍(主に米軍)から大量の物資や役務サービスが発注された。この特需が契機となり、日本経済は急速に回復し始めた。
こうした事態の推移に着目した社長は、7月17日、緊急経営方針発表会を開催、「この関頭に立って、日本の真の再建に思いをやるとき、仕事に励む喜びが芽生てきた。ここに、全精力を燃やし尽くし、歓喜の姿で会社経営に注ぎ込むことを宣言する」との決意を述べた。
時に、経営活動を拘束し続けてきた7つの制限から順次解除され、昭和25年後半に、ほとんど自由の身となったこともあって、社長は全力を注ぎ、経営再建に取り組んだ。その結果、松下電器の業績は短時日にして好転し、11月期には戦後初めての復配を決定、3割配当を行うまでになった。
それから1年後の昭和26年7月17日、この日を記念して「大飛躍を誓い合う会」を開催、感激も新たに次の躍進を誓い合った。