92. フィリップス社と技術提携 1952年(昭和27年)

かねて欧米の先進技術を導入することが、戦後の復興には不可欠であると考えていた社長は、昭和26年10月、再び渡米、ヨーロッパを回り、12月に帰国した。今度は、具体的に技術提携先を求めるのが目的だった。

結局、戦前から取引のあったオランダのフィリップス社と提携交渉を始めたが、交渉は難航した。先方は、提携の条件として、新会社に対して、イニシャル・ペイメント55万ドル、株式参加30%、ロイヤリティー(技術指導料)7%を要求した。前の2つは仕方がないとしても、ロイヤリティーの7%は高すぎる。アメリカなら売り上げの3%ですむ。先方は「高くても、それだけの値打ちはある。技術責任者を出し、責任をもって指導する」と譲らない。そこで、社長は「経営にも価値がある」との信念から、経営指導料を逆に要求、先方を感心させた。

その結果、昭和27年10月16日、フィリップス社の技術指導料4.5%に対して、経営指導料3%で契約は成立、12月に新会社・松下電子工業株式会社が発足した。その後、この比率は3%と2%に改定されていったが、昭和42年の契約改定時には、ついに同額の2.5%ずつとなった。