93. 乾電池の自主開発を決意 1952年(昭和27年)

同じころ、社長は乾電池についても外国技術の導入を考え、アメリカのE社を見学、帰って技術担当の中尾哲二郎常務に相談した。だが、中尾常務は、松下独自で開発することを進言した。社長は1日も早く良い乾電池をつくりたいとの思いもあり、中尾常務を説得し、技術導入の交渉を開始した。

交渉に入ると、先方は、2%のロイヤリティーを要求してきた。しかし、よく聞いてみると、乾電池だけでなく、ランプケースまで含めて、いわゆる乾電池関連製品全部に対する2%である。ロイヤリティーは乾電池だけが本筋といくら主張しても、先方は要求を変えず、交渉は行き詰まった。

中尾常務は再び、「そんな不当な金を払ってまで技術導入をする必要はありません。必ず良いものをつくりますから、ぜひやらせて下さい」と熱心に訴えた。社長は、その熱意に心を打たれ、これまでの提携交渉を円満に解消し、松下独自の技術で開発するとの決断を下した。

この決定で、技術陣は奮起し、昭和29年4月、E社の乾電池に劣らない高性能のナショナルハイパー乾電池を生み出した。