95. 日本ビクター(株)と提携 1954年(昭和29年)

たまたまこの時期、社長は日本興業銀行から日本ビクター株式会社の再建を懇望された。日本ビクターは、戦前から「犬のマーク」で親しまれ、国民のアイドルともなっていた会社である。それが空襲による大打撃を受け、支援を仰ぐべき親会社のT社も戦後の復興で手が回らず、昭和28年には、経営危機に追い込まれていた。

資本金2,500万円に対し約5億円という莫大な債務を抱えていたから、主要取引銀行の日本興業銀行が苦慮するのも無理はない。T社など各方面に働きかけたが、この負債の肩代わりをしてまで引き受けるところはなく、松下電器に話が持ち込まれたのである。

そのとき、社長の頭にふと「犬のマーク」が浮かび、「せっかく築いた“日本ビクター”ののれんを無にすることは、日本の産業界にとって大きな損失である」と考え、この再建を引き受けることにし、昭和29年1月、正式に提携した。

その際、社長は「正しい競争の中でビクターの特長を生かしてこそ真の発展がある」との考えから、話し合いによる調整を許さず、松下電器と日本ビクターは互いに競争しながら、その成長を図っていくことになった。