97. 「5ヵ年計画」を発表 1956年(昭和31年)

昭和30年は後半から始まった神武景気に支えられて、実質経済成長率は暦年で8.8%に達した。昭和31年版の「経済白書」は「もはや戦後ではない」と宣言している。

この時期、社長は再建期から、いよいよ本格的な活動期に入ったことを察知し、昭和31年1月の経営方針発表会で、「松下電器5ヵ年計画」を発表した。内容は、昭和30年現在で年220億円の販売高を、昭和35年に年800億円に、従業員を11,000人から18,000人に、資本金を30億円から100億円にするというもの。構想の大きさに、全員は驚いた。また、当時民間企業でこうした長期計画を発表するところはなく、各方面に大きな反響を呼んだ。

社長は「この計画は必ず実現できる。なぜかというと、これは一般大衆の要望だからである。われわれは、大衆と“見えざる契約”をしているのである」と訴えた。社長の予測に違わず、この計画は、4年間でほぼ達成され、5年後の昭和35年には、販売高1,054億円、従業員約28,000人、資本金150億円となり、目標をはるかに上回った。