101. アメリカ松下電器を設立 1959年(昭和34年)
神武景気の反動で起こった、昭和32年後半からのいわゆる「なべ底」と称される景気後退があったが、これは短期間で終わり、日本経済は、昭和33年後半から、神武景気をさらに上回る岩戸景気へと移行した。
こうした情勢下、社長は、日本はすでに一人前となり、いまや貿易を通じて海外にも貢献すべき時代を迎えたことを察知した。当時、松下電器の輸出は、昭和33年度現在32億円で、まだ売り上げの7.8%ほどであった。社長は、昭和34年1月の経営方針発表会で、相手国の身になって考え、相手国に喜んで受け入れられるものを工夫し、生み出す熱意をもたねばならないと担当者に要望した。そして、海外事業の充実を図る第1歩として、この年9月、アメリカ松下電器株式会社を設立、11月、海外事業の統括部門として国際本部を新設した。
こうした海外事業分野の強化によって、1年後の昭和35年に輪出額は早くも108億円となり、売り上げの10%以上を占めるまでになった。なお、アメリカ松下電器は、昭和38年にパンナムビル内に移転、昭和50年には、二ュージャージー州シコーカス市に移った。