102. 「5年先に週5日制を」と発表 1960年(昭和35年)
岩戸景気の中で繁栄を続ける日本経済であったが、それは手厚い保護貿易政策により実現されたものであり、外国から日本に対する貿易自由化の要請が次第に強くなった。昭和34年10月、東京で開催されたガット総会で、強く自由化を迫られた政府は、昭和35年に、「貿易為替自由化計画大綱」を出し、3年後に自由化率を90%にすると発表した。
こうした中で、社長は、これからは国際舞台で互角に競争し、打ち勝てる企業にならなければならないと痛感、「5ヵ年計画」に次ぐ目標について思いを巡らした。
昭和35年1月、社長は経営方針発表会の席上、「国際競争に打ち勝つためには、設備の改善やオートメーションを進めるとともに、仕事の能率を大いに高めなければならない。そうなると、アメリカと同じように週2日の休みが必要である。それができて、はじめて世界のメーカーとして互角に商売ができると思う。5年先に週5日制を実施したい」と述べた。この発表は全員を驚かせたが、5年後の昭和40年4月、計画通り実施された。