113. 中央研究所の新社屋が竣工 1963年(昭和38年)
松下電器における研究体制の本格的な取り組みは、昭和27年にさかのぼる。昭和26年の初めての訪米で、日本の技術の遅れを痛感した会長は、翌年1月の経営方針発表会で、総合研究所設置の計画を明らかにし、「この研究所は、当初から大きな規模を考えることはせず、逐次堅実に育てて、やがて10年先、20年先、また100年先に、真に国家、社会の公器として力強く役目を果たしていくものにしたい」と発表、昭和28年5月、中央研究所を建設した。
さらに、翌年1月の経営方針発表会で、「中央研究所と個々の研究部門とが協調するところに、技術の進歩がある」と説き、総合と専門の2つの機能が車の両輪のごとくかみ合って進む研究体制のあり方を示唆した。
昭和35年には、「中央研究所のほかにも、必要に応じて専門研究所をつくりたい」と発表、東京研究所、照明研究所などの専門研究所を設置する一方、中央研究所の拡充をも志し、昭和38年5月、その第1期工事を完了した。この中央研究所は昭和43年1月までにほぼ完成、「技術の松下」の中枢として、次々と世界的な新製品・新技術を生み出した。