119. 「共存共栄」の色紙を贈呈 1964年(昭和39年)

熱海での会議は白熱化した。販売会社、代理店の社長からは、経営悪化の実態があからさまに吐露され、苦情や要望が盛んに寄せられた。壇上で、会長は、それらを一言も聞きもらすまいと耳を傾け、また、腹蔵のない意見を述べた。激しい議論が闘わされたが、何らの結論も得ぬままに、最終日の7月11日となった。しかし、苦情はなお続きそうな気配である。

そのうちに、会長は、昔、電球を発売し、「横綱にして下さい」と無理を承知で頼んだことを思い出し、万感が胸に迫った。そこで「2日間十分言い合ったのだから、もう理屈を言うのはやめましょう。よくよく反省してみると、結局は松下電器が悪かった、この一言に尽きます。これからは心を入れ替えて出直しますので、どうか協力して下さい」と祈るように訴え、絶句した。見ると、会長がハンカチで涙をふいている。思わず全員がもらい泣きし、会場は一転して粛然となった。

会談は感涙とともに幕を閉じた。閉会に当たり、会長は、1枚ずつ思いをこめて揮毫した「共存共栄」の色紙を社長1人1人に差し上げた。

その後、会長は病気療養中であった営業本部長の職務を代行し、不況克服に全力を傾注した。

そして、昭和40年2月、「新販売制度」を実施した。その内容は、(1)販売会社の整備強化(2)事業部との直取引制度(3)新月販制度などの画期的な制度であった。