121. 大型コンピュータ事業から撤退 1964年(昭和39年)

昭和30年代に入り、新規技術の開発が活発に進められる中で、注目をされていたものに、大型コンピュータがある。松下電器も、松下通信工業を中心に5年前から研究を重ねて、ようやく実用化の見通しをつけ、昭和39年には、オランダのフィリップス社と提携し、新会社を設立する計画を進めていた。また、電機業界においても、松下電器を含めた7社がそれぞれ2億円を出し合い、日本電子計算機株式会社を設立し、高性能機種の共同開発に打ち込んでいた。

たまたま、この時期、会長はアメリカのチェース・マンハッタン銀行副頭取と懇談する機会があり、席上、この話が出た。その時、副頭取は「日本では7社でコンピュータをつくるというが、多過ぎないか」と指摘した。前からこの分野への進出競争の過熱ぶりに一抹の懸念を抱いていた会長は、この言葉にヒントを得て、「総合メーカーが片手間にやるよりも、2,3の専門メーカーがやるほうが電算機事業の発展のためにもよい」と判断し、大型コンピュータ事業ヘの進出計画を中止することを決定した。