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テレビを変えたテレビ

カラーテレビ「クイントリックス」

1974

時代の大きな変わり目に、彗星のように出現するヒット商品がある。カラーテレビ「クイントリックス」もその1つ。1973(昭和48)年、第1次オイルショックが世界経済を襲った。日本でも、いわゆる石油パニックが発生。狂乱物価と言われるほどに物価が上昇し、日用品の買いだめ騒動も起きた。家電業界でも一時帰休や操業短縮が相次ぎ、戦後、長く続いた高度成長期がついに終わり、日本企業はこれ以降、低成長下での経営を模索していくことになる。この変化に対応し高度成長時代とは抜本的に異なる製品づくりを求められたのが、当時本格的な普及期を迎えつつあったカラーテレビである。今後の社会が求める省資源・省エネルギーを不可欠の条件とし、耐久性や節電を重視。かつ、品質・性能・安全性は従来以上の水準を追求、その上でインフレに悩む消費者のために求めやすい価格を実現する。まさに「実用的なテレビ」の開発が始まった。

新しいテレビの心臓部となるブラウン管は、従来のものに比べ、レンズを1枚加えた5極3レンズの「クイントリックスブラウン管」を新開発し、コントラストと明るさを大きく改善した。しかし、それだけでは十分ではない。技術者たちは、オイルショック後の厳しい市場環境に直面して、もはや従来のテレビの延長線上で考えていてもブレイクスルーは望めないと感じていた。

発想の出発点となったのは、「映像を映すために原理的に必要な部品だけで構成してみるとどうなるか」。いわば「裸のテレビ」を想定することであった。彼らは、回路設計の段階から、映像に不可欠な部品のみを残し、不要な部品を切り捨てていった。ICの大幅な導入、機械部品の改良と簡素化、プリント基盤の設計見直し等により、部品点数、プリント基盤の面積・重量、作業工数のすべての面でおよそ30%の削減に成功。こうしてテレビの常識を覆した「G8シャーシ」が完成する。映像の美しさはもちろん、省資源・省エネ、品質など、あらゆる面で大きな進化を遂げながら、価格においても18型で13万9,000円という驚異的な低価格を実現した。

1974(昭和49)年の発売時、坊屋三郎氏と外国人タレントの掛け合いが楽しいテレビCMも大きな話題となり、「クイントリックス」の名を幅広い世代に認知させることに成功。累計販売台数140万台を記録するヒット商品となった。1976年には、オーストリアのインスブルックで開催された第12回冬季オリンピック大会において、競技の模様を全世界にテレビ中継するオーストリア国営放送局に、中継用テレビモニターとして「クイントリックス」カラーテレビが14型、18型合わせて500台が独占的に採用された。「クイントリックス」の名前を世界が認める日がやってきたのだった。

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