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ナショナルビデオ VHS1号機

「マックロード88」

1977

1970年代後半から1980年代が終わりを迎える頃まで、カラーテレビに続く松下電器の大黒柱として、NationalとPanasonic両ブランドを世界に浸透させていったのがビデオ事業である。だが、この事業が開花するまでの道程は平坦ではなかった。
ビデオ1号機NV-201が誕生したのは1964(昭和39)年のこと。業務用として開発され、「ビデオマスター」と命名されたこの製品は、重量75kgの巨大なマシーンであった。ビデオ事業部が発足したのは、それから2年後の1966(昭和41)年である。事業部の夢は、家庭用のビデオ録画機を開発し、ひろく普及させることに他ならなかった。1973(昭和48)年には、テレビチューナー付の家庭用録画機「パナカラービデオ」を発売する。ところがその直後、日本は第1次オイルショックに見舞われる。ビデオ事業も縮小を余儀なくされた。

雌伏の時期を経てビデオ事業がブレイクするのは1977(昭和52)年、グループ会社の一つ日本ビクターが開発したVHS(Video Home System)方式の採用がきっかけであった。実はこれに先立ち、ソニーが独自のベータ方式の採用を、松下電器にも持ちかけてきていた。
ベータかVHSか。最終的な決断を下したのは当時相談役だった幸之助である。基本の録画時間が1時間のベータに対してVHSは2時間と長く、映画やスポーツ番組を丸録りできる。部品点数が少なく故障も少ない、重量も軽いなどなど、さまざまな理由から幸之助はVHSを選択した。

こうして誕生したのがナショナルビデオのVHS1号機「NV-8800 マックロード88」である。大型のボディーは「太めのマックロード」と呼ばれたが、それには理由があった。ビデオ録画機は、アナログ技術の粋を結集したかのような機器である。ビデオカセットテープが挿入されるとテープが引き出され、ドラム状のビデオヘッドシリンダーに巻き付けられる。そして1分間に1800回転(松下電器は回転精度99.999%を誇った)するシリンダー上をテープが走行することで、映像の録画・再生が行われるのである。大型ボディには、こうした精密機構の信頼性向上という狙いがあったのだ。

1980年代に入ると、技術の進化とともに「太めのマックロード」は「スリムなマックロード」へと変身していく。画質・音質・操作性も日々向上していった。録画機とビデオカメラを一体化したビデオムービーが誕生するのも1980年代半ばのことである。
そして1990年代、磁気テープに替わる新たなメディアとして、DVD(Digital Versatile Disc)が登場する。テープから光ディスクへ。これは、まさに21世紀に向けて急進するデジタル化の象徴であった。

松下電器社内報『松風』1977年12月号(1977年)

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