〈新選組-剣客たちが貫いた「誠」-〉
……新選組は、「尊王攘夷(そんのうじょうい)」という考え方でした。天皇をうやまい、外国をたおすという思想ですが、それでは江戸幕府についてはどう考えていたでしょうか。
……近藤らの考え方は「天皇をとうとびながら、徳川幕府をうやまい助ける」というものでした。尊王も攘夷も勤王(きんのう)派の志士と同じでしたが、彼らが幕府をたおそうとするかぎり、新選組にとってはゆるしがたい敵だったのです。1863(文久3)年8月18日、朝廷から尊王攘夷派の公家が追放され、長州が政治の中心から失脚(しっきゃく)する事件が起こります(8月18日の政変)。この時の活やくにより、朝廷から「新選組」の名をおくられました。
〈坂本龍馬-藩を越え、海を超える志〉
……慶応3年(1867)、龍馬は京に向かう土佐藩の船で、藩の重臣・後藤象二郎(ごとうしょうじろう)に対し、『船中八策(せんちゅうはっさく)』といわれる新しい日本の構想(こうそう)を語ります。その中にある龍馬の考え方は、次のうちどれでしょう。
……薩長が武力による討幕(とうばく)をいそぐ中、龍馬は平和的に幕府をたおしたいと思い、 政権を天皇に返す「大政奉還(たいせいほうかん)」や新政府についての考えを後藤象二郎に 伝えました。その中で「議会をもうけて、すべてを公の場で決めること」や「新しい大典(たいてん=憲法)」が必要なことをのべています。「船中八策」は、後に明治政府が出した「五箇条の御誓文(ごかじょうのごせいもん)」にもえいきょうをあたえています。
〈西郷隆盛と西南戦争―英雄のめざしたもの―〉
……私利私欲(しりしよく)をひじょうにきらった西郷さん。そんな西郷さんは当時の若い士族たちをひきつけ、また今でも多くの人たちにしたわれつづけています。西郷さんがモットーとした言葉は、さてどれでしょう。
……「敬天愛人」とは、「天をうやまい、天の道を守り、自分を愛する心をもって人を愛する」という意味です。下級武士の子として生まれ、若いころには島流しに会うなど苦労を重ねた西郷さんは、明治になって政府の高官が大きな家に住み、ぜいたくなくらしをしていても、東京や鹿児島でつつましい生活を送りました。心が広く思いやりがあり、「敬天愛人」の生き方をつらぬいたといえます。