第2部 テレビの進化と生活の変化

戦争によって中断されたテレビの開発は、1946年6月に解禁され、1950年に入ると受像機の開発に着手します。社内ではテレビよりラジオが優先されている中、1951年3月、テレビ試作機を完成させ、アメリカ視察から帰国した幸之助にテレビ再開発を願い出て、許可を得ます。第2部ではテレビの進化と生活の変化を年表とその時々の代表的な製品とともに紹介します。

白黒テレビ、1920年から1950年代

緑字:放送の変遷
黒字:社会の出来事

1920s

1926

3放送局が合併し、社団法人日本放送協会発足
12月 静岡・浜松高等工業学校の高柳健次郎助教授 テレビ伝送実験に成功

1927

初のラジオスポーツ実況中継(第13回全国中等学校優勝野球大会)

1928

ラジオ体操 放送開始

1929

10月 ニューヨーク株式市場大暴落、世界恐慌へ

1930s

1932

聴取契約数100万を突破/オリンピックロサンゼルス大会で実感放送

1933

3月 日本、国際連盟を脱退

1939

NHKがテレビ公開実験を開始
9月 第二次世界大戦勃発

1940s

1941

12月 太平洋戦争勃発

1945

GHQによる番組指導・検閲開始
8月 第二次世界大戦終結

1946

1月 GHQ、公職追放を指令/2月 新円発行/11月 日本国憲法公布(翌年5月施工)

1949

4月 1ドル360円の単一為替レート設定

1950s

1950

NHKが技術研究所にテレビ実験局を開設
放送法・電波法・電波管理委員会設置法(電波三法)施行

6月 朝鮮戦争勃発

1951

民間ラジオ放送開始/第1回「紅白歌合戦」ラジオ放送
9月 民間ラジオ放送開始/サンフランシスコ平和条約、日米安全保障条約調印

1952

テレビ試験放送
8月 日本電信電話公社設立

1953

テレビ本放送開始(NHK、日テレ)

1954

街頭テレビが大盛況/力道山、シャープ兄弟プロレス試合中継に2万人
神武景気

1956

7月 経済企画庁が経済白書で「もはや戦後ではない」と発表/12月 日本、国際連合に加盟

1958

12月 東京タワー完成/岩戸景気

1959

皇太子ご結婚パレードを1500万人が視聴/NHK教育テレビ放送開始

ナショナルテレビ第1号が完成、1952年

白黒テレビ1号機
17K-531

写真:白黒テレビ1号機、17K-531

テレビの本放送開始に先立って、1952年11月に当社が完成させたのが、17インチ白黒テレビです。研究着手からおよそ20年、戦争による開発中断を乗り越えて作られた、念願のナショナルテレビ1号機でした。価格は29万円で当時の高卒初任給の約54倍※と非常に高価。庶民にとっては高嶺の花でした。当社はテレビの普及に向けて「1インチ1万円」を掛け声に改善、コストダウンを重ねていきます。その後、白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機が「三種の神器」と呼ばれるようになり、三つをそろえることが各家庭の憧れとなりました。テレビ誕生期における松下幸之助の思いが、最もよく表れた従業員へのメッセージをご紹介します。「みなさん、ナショナルテレビができましたよ。私たちの努力でこのテレビが日本中どこの家庭でも楽々買えるような繁栄日本を築きましょう。」そして、1955年には、それまで海外他社からの輸入に頼っていたブラウン管の製造を松下電子工業で開始。自社での一貫したテレビ生産体制を構築しました。

※1952年の高校卒・国家公務員の初任給を5,400円として計算

写真:白黒テレビと映る松下幸之助、1953年2月の給与メッセージより
1953年2月の給与メッセージより

憧れを茶の間へ、1958年

14型テレビ
T-14R1

写真:14型テレビ、T-14R1

本放送開始から6年後の1959年4月、テレビの普及に弾みをつけた一大イベントが日本中をわかせました。皇太子殿下(現在の上皇陛下)のご成婚です。日本が高度経済成長の波に乗るなか、この慶事をぜひ見たいと願う国民の気持ちは、テレビ受信契約数の急増となって表れました。これは、一般家庭にも購入可能なテレビが登場し始めた結果でもあります。前年2月に発売した14型テレビは、性能の良さや斬新なデザインに加え、普及価格の7万円台を実現し、大ヒット商品になりました。当社は祝賀パレード中継を含む、ご成婚慶祝番組を前日1時間半、当日12時間、現TBS系列で一社提供し、テレビの普及に努めました。この頃、白黒テレビの世帯普及率は10%から20%へと飛躍的に伸びました。

写真:14型テレビの新聞広告、1959年
新聞広告(1959年)

カラーテレビ、1960年から1980年代

1960s

1960

9月 NHKと民放、カラーテレビ本放送開始(1日2時間程度)
12月 国民所得倍増計画を閣議決定

1962

テレビ受信契約数1,000万突破

1963

「鉄腕アトム」放送開始/テレビ世帯普及率70%
11月 日米間宇宙テレビ中継実験成功

1964

東京五輪放送初の衛星中継
10月 東海道新幹線開業/東京オリンピック開幕

1965

いざなぎ景気

1967

テレビの受信契約数2,000万を突破
8月 東南アジア諸国連合(ASEAN)発足

1968

日本の国民総生産(GNP)、アメリカに次ぎ世界第2位に

1969

アポロ11号月面からテレビ中継

1970s

1970

3月 大阪・千里丘陵で日本万国博覧会開幕

1971

NHK総合テレビが全時間カラー化
9月 アメリカ・ニクソン大統領、ドル防衛緊急対策発表

1972

オリンピック放送初の全カラー中継

1973

2月 変動為替相場制へ移行
10月 第一次石油危機

1978

アナログ方式での音声多重放送開始(日本テレビ)
8月 日中平和友好条約調印
12月 中国、改革開放政策に着手

1979

1月 第二次石油危機
5月 『ジャパン・アズ・ナンバーワン』出版

1980s

1985

文字多重放送開始(NHK・日本テレビ)
9月 G5、ドル高是正のため為替市場への協調介入合意(プラザ合意)

1986

4月 男女雇用機会均等法施行
4月 「前川リポート」、内需拡大・国際協調への転換を宣言
12月 衛星放送 試験放送開始

1987

2月 NTT株初上場、一時318万円(額面5万円)に

1989

4月 消費税3%導入
6月 BSアナログ本放送開始
12月 日経平均株価が市場最高値の3万8,915円87銭(終値)を記録、バブル景気がピークに
12月 米ソ両国首脳、東西冷戦終結を宣言

カラーテレビの誕生、1960年

業界初カラーテレビ
K21-10

写真:業界初カラーテレビ、K21-10

白黒テレビは、驚異的なペースで家庭へ浸透し、東京オリンピックの開催された1964年には、世帯普及率がほぼ90%に達します。その傍らで、1960年9月にはカラーテレビの本放送が始まりました。当社は、これに先立つ1960年7月、カラーテレビ1号機ナショナル21型カラーデラックス「K21-10」、ナショナル21型カラーテレビ「K21-20」を発売しました。後にクーラー、カーとともに「3C」と呼ばれ、憧れの生活の象徴となるカラーテレビですが、当初はたいへん高価であり(上記2機種とも50万円)、しかもカラー調整には専門のサービス員が必要で、カラー放送自体も1日2時間程度とまだ少なかったため、普及は進みませんでした。

写真:カラーテレビの新聞広告、1960年
新聞広告(1960年)

生活研究が生み出した、日本の家庭にマッチする家具調テレビ、1965年

黄金回路搭載
家具調テレビ「嵯峨」
TC-96G

写真:黄金回路搭載、家具調テレビ「嵯峨」、TC-96G

当社が1965年に発売した、家具調デザインの白黒テレビ「嵯峨」は、従来のテレビのイメージを一新しました。新たな需要を喚起するために、ユーザー使用実態調査を行い、お客様のくらしに溶け込むデザインを考える、今までにない挑戦を行ったのです。日本の家庭にマッチする木製のキャビネットを用いた格調高い外観や、和風のネーミング、さらに故障が少ない「黄金回路※」が実現した品質。これらが高く評価され、「嵯峨」は5年以上もシリーズ展開を続け、累計で130万台を販売する大ヒット商品となりました。

※黄金回路…最高級のシャーシに信頼性の高い部品を配し、当時ではこれ以上の高性能・高品質は望めないとまで言われた、開発陣が総力を挙げて開発した回路

写真:雑誌に掲載された嵯峨の記事、1966年
雑誌(1966年)

新感覚のファッションカラーデザイン、1971年

13型テレビ
TH-303P

写真:13型テレビ、TH-303P

カラーテレビについても、当社は1966年に「パナカラー」の愛称で幅広い層へのアピールを開始します。1967年には、手間のかかるカラー調整を自動化するオート・マジック機能を開発し、カラーテレビの普及に努めました。そうしたなか、人類初の月面着陸(1969年)、大阪万博開催(1970年)といった歴史に残るイベントの中継放送が、カラーテレビをより身近な存在にしていきます。世帯普及率は1973年に白黒テレビを超え、1975年には90%を突破。一家に一台から一部屋に一台の時代になっていきます。1971年発売のポータブルカラーテレビTH-303Pは従来のポータブルのイメージを破った丸形の新規デザインを採用。技術的には、新開発のトランスやヨーク、チューナーなどの採用により、小型・軽量・低消費電力化を図るとともに、徹底的な合理化を進め、標準価格79,800円を実現しました。消費者要望に応えた価格と新感覚のファッションカラーデザインで、市場において圧倒的人気を獲得し、「新パナカラー」のイメージを強力に訴えました。

写真:ご販売店様向けの13型テレビのチラシ、1971年
ご販売店様向けチラシ(1971年)

世界初、リモコンの標準となった赤外線リモコン搭載テレビ、1972年

20型
赤外線リモコン搭載
TH-6600FR

写真:20型赤外線リモコン搭載、TH-6600FR

当時は超音波式リモコンが主流でしたが、電話のベルやドアの開閉音などの生活音で誤作動を起こす問題が多発しました。それを受け、新技術を駆使して当社が開発したのが、1972年発売の赤外線リモコン「マジコン」を搭載したテレビです。誤動作問題を解決し、その後のリモコンの標準となりました。赤外線リモコンは、エアコンやそのほかの家電製品にも拡がっていきます。

美しい画面と省エネ設計で大ヒット、1974年

省エネ・実用型
カラーテレビ
「クイントリックス」
TH18-E25

写真:省エネ・実用型カラーテレビ「クイントリックス」、TH18-E25

カラーテレビブームが続く1974年、「クイントリックス」は、高い性能をもちながら低価格を実現します。その背景には、新ブラウン管、ならびに新シャーシの開発がありました。オイルショック後の厳しい経営環境に直面するなか、従来のシャーシを根本的に見直し、部品点数を約40%そぎ落とし、コスト面でも、品質面でも大幅な改善を行ったのです。18型テーブルタイプで13万9千円。省エネを実現する新設計の回路と、コントラストと明るさを改善した新ブラウン管を搭載。鮮明画質かつ節電・省資源設計の実用型として累計販売台数140万台を記録するヒット商品となり、さらにユニークなテレビCMで大人気を博しました。

写真:クイントリックスの新聞広告、1975年
新聞広告(1975年)

フロアライフの提案、1984年

カラーモニター
「αTUBE」
TH28-D01X

写真:カラーモニター、αTUBE、TH28-D01X

1980年代に入ると、20型クラスのカラーテレビが飽和状態に達します。同時にテレビ視聴の個人化が進み、市場の主流は小型化にシフトしていました。14型の販売が全体の約70%を占めるようになり、業界には行き詰まり感が漂います。そうしたなか、当社テレビ事業部では、通常の商品企画とは別に、デザイン部が独自のプロジェクトを立ち上げ、新感覚のテレビ開発に取り組みました。徹底的な議論を通じて導き出されたのは、「ビデオの普及が進めば映像を大画面で楽しむ時代が来る」という確信であり、これに基づき、1984年、28型大型ブラウン管を採用した「αTUBE」を発売。「テレビとはブラウン管である」をコンセプトにした、受像機を床において楽しむ“フロアライフ”を提案します。TUBEの名にふさわしく、ブラウン管をかたどった、どの角度から見ても美しい斬新な曲線デザインが特徴で、1985年のグッドデザイン大賞を受賞しました。

写真:αTUBEのポスター、1985年
ポスター(1985年)

大画面テレビ、1990年代

1990s

1991

1月 湾岸戦争勃発
12月 ソビエト連邦、69年の歴史に幕

1992

4月 CSテレビ放送開始

1993

11月 欧州連合(EU)発足、単一市場始動

1994

BSアナログハイビジョン放送開始
1月 北米自由貿易協定(NAFTA)発効
7月 製造物責任法(PL法)公布

1995

画質を向上させた新放送方式ワイドクリアビジョン導入
1月 阪神・淡路大震災発生
11月 アメリカ・マイクロソフト社、「ウィンドウズ95」(日本語版)発売、インターネットの普及が進む

1996

6月 CS放送「パーフェクTV」スタートによりデジタル放送開始
携帯電話、PHSの普及が進む

1997

7月 アジア通貨危機が世界に拡散/日本の金融機関が相次ぎ破綻

1998

6月 特定家庭用機器再商品化法(家電リサイクル法)公布

1999

1月 EU通貨統合、単一通貨「ユーロ」導入

究極のテレビ、90年代のニュートレンドを開発せよ、1990年

BS 内蔵フラット
大画面テレビ「画王」
TH-43VS10

写真:BS内蔵フラット大画面テレビ「画王」、TH-43VS10

1989年、当社テレビ事業の集大成として、ニュートレンドとなる究極のテレビを作り、事業部発足30周年にあたる1990年に売上高5,000億円を目指す「V5000プロジェクト」が始動します。開発、製造、販売、宣伝のみならず、商品のパッケージや流通、経理にかかわる部門まで、あらゆる部署が参画しました。新開発のスーパーフラットブラウン管は業界一フラットな画面で、見やすく鮮やかな映像を実現し、画面から直接音が出ているように感じられる重トーンドームスピーカーのサウンドと一体化した迫力のある新しい視聴体験をつくり上げました。こうして誕生した「画王」は、発売と同時に華やかでインパクトのあるCMや新聞広告を打ち出し、生産累計300万台を突破する爆発的なヒットを記録。カラーテレビの大画面化の流れを確立し、カラーテレビの一時代を築きました。

写真:画王のポスター、1990年
ポスター(1990年)

目指したのは、人にやさしいテレビ

大人気を博した「画王」の企画開発で何よりも重要視されたのは、意外にもシンプルなテーマでした。“テレビを見る人の素朴な要望に立ち返る”、ということです。それまでメーカー側が作ってきた流行や競争から一旦離れ、ユーザーが本当に欲しいと思うテレビとは何かを徹底的に追求。結果、どこからでも見やすい画面、自然で美しい色、優れた音質という、テレビの本質機能を充実させた、人にやさしいテレビが誕生したのです。テレビの名前はカタカナが主流だった当時、漢字の「画王」は異例のネーミングでした。反対意見も多く上がりましたが、字面のインパクトや、商品コンセプトと合致していることから採用され、大きな反響を呼びました。

アナログからデジタルへ、テレビ放送の大革命

テレビ放送のデジタル化は、放送方式や規格の刷新に加え、局設備の総取り換えを伴うとともに、テレビ受信機など各家庭の機器や機材の買い替えが必要とされる難度の高いものでした。放送局や消費者からの抵抗が大きかった中での大革命でしたが、現在では「社会インフラ改革」の成功事例と言われています。
アナログハイビジョンを世界に先駆けて開発した日本が、グローバル視点でデジタル化に踏み切り、2003年の地上デジタル放送を開始するまでの間に何が起こったのか、そして当社がどのような準備を進めて、この大革命に貢献していったのかを振り返ります。

デジタル移行の背景

逆風の中、デジタル化へと舵を切る

日本は、1994年にMUSE方式のアナログハイビジョン放送の実用化試験放送を開始しました。しかし、グローバルに目を転じれば、米国や欧州で、MPEGを中心としたデジタル方式の放送が決定しており、日本も早々に見直しを迫られることになりました。
ただ、当時国内には約100万台のアナログハイビジョン放送用テレビが普及していたため、これまでに多額の投資をしてきた放送局・メーカー、そしてテレビの買い替えが必要になる消費者からの猛反発を受けることになります。このような逆風を受けつつも、NHK技術研究所を中心に、日本の基幹放送をデジタルハイビジョンにしようとの機運が高まり、1997年5月の電波監理審議会で衛星放送のデジタル化が決定。当社もその一翼を担いました。

高画質の実現かつ、電波帯域をモバイルへ提供

デジタル化に舵を切った理由としては、大きく下記の4点が挙げられます。
❶ 高画質を実現:シミュレーションで見たデジタルハイビジョンの感動画質
❷ MPEG技術・LSI技術の進化:技術進化のカーブを推定して、実現の可能性があると判断
❸ グローバルでの競争力確保:アナログに留まると日本の産業が立ち後れることへの危機感
❹ 地上電波帯域の有効活用:電波帯域を整理し、放送帯域の一部をモバイルへ提供
これらに加え、当時、アナログテレビのコモディティー化が進み、家電メーカー各社の柱であったテレビ事業は、苦境に立たされていました。当社はもちろん、各社がテレビ事業の再生を模索しており、これもデジタルへの移行に弾みをつけました。BS放送から始まったデジタル化は、その後、地上波にも受け継がれ、2003年に国・放送局・メーカーが一体となって、地上波デジタル放送をスタートさせました。

デジタル放送で変わるお客様とテレビの関係

地上デジタル放送とは、放送局が発した電波信号を、地上の中継所などの施設を経由して各家庭に届ける放送波を使ったデジタル放送のことをいいます。それまでのアナログ方式にはなかった、さまざまなベネフィットがお客様に提供されるようになりました。

ハイビジョン画質

横1920画素、縦1080画素のハイビジョン画質で、16:9のワイド画面。
アナログ放送で起きていた、映像や音声にズレが生じるゴースト障害が発生することなく、高解像で美しい感動的な映像が得られます。

マルチ編成(1チャンネルを分割)

1つのチャンネルで、複数の番組を放送できます。例えば、スポーツ中継の延長時には、メインチャンネルで予定通りニュースを視聴しながら、サブチャンネルで中継を引き続き楽しむことが可能になります。

データ放送

リモコンの「dボタン」を押せば、ニュース、気象情報や交通情報など、くらしに役立つ便利な情報をいつでも見ることができ、番組によっては、試合経過や出演者のプロフィールなどの関連情報も確認できます。

電子番組表(EPG)

リモコンの「番組表」ボタンを押せば、当日から1週間先までの番組情報(放送予定)を見ることができます。視聴予約や録画予約もでき、放送予定の変更にも対応しています。

当社の取り組み

合言葉は「End to End」

当社は、1990年代初めよりDVDやデジタル放送向けのMPEG技術等の要素技術開発をスタート。1998年に地上・BSデジタル放送向けの全社体制を立ち上げて、2000年にはテレビ事業を担当していた社内分社であるAVC社の「BSデジタル放送システム事業化タスクフォース(以下、TF)」を核として、傘下に放送規格を推進する衛星・地上波提案TF、統合データ放送End to EndシステムTF、受信機事業、放送設備事業などのチームを結集させました。
従来のアナログ放送に対して、放送局から受信機(テレビ)まで、すべての方式が変わるため、当社は「End to End」を合言葉に、放送規格の策定、放送局の制作・送出システム、受信機、および局と受信機をつなぐ伝送方式を一体でとらえて、技術・商品・システム開発、そして事業化に取り組みました。また、放送規格を各社と策定する一般社団法人電波産業会(ARIB)や、日本放送協会(NHK)および主要民放各社とも協業、まさにオールジャパン体制での推進でした。
このような取り組みが、薄型テレビにとどまらず、ブルーレイディスクレコーダー、車載テレビ、CATV送受信システムなど、幅広い商品群に結実していったと言えるでしょう。

デジタル放送の送受システム

画像:デジタル放送の送受システムの図。放送局の制作・送出システムから放送ネットワークを介して、テレビ受信機へと映像や音声といった情報を届ける。

放送の規格化 キーワードは公共性と耐久性

テレビの地上波放送は、公共性が高く日本全国あまねく普及している基幹メディアです。そのため、デジタル化に当たっては、全国の放送事業者が長期間にわたり継続運用できる標準的な放送規格の策定が不可欠でした。そこで、以下の3階層に分類して検討しました。

❶ 省令・告示:

国が制度的に定める強制規格
主に電波使用(免許)に関わる事項を抽出したもの

❷ ARIB標準規格:

一般社団法人 電波産業会(ARIB)が定める民間規格
各種のデジタル放送をメディア横断的に規格化し、省令・告示を補足したもの

❸ ARIB運用規定:

拡張性を持って定義された標準規格の中から、地上デジタル事業者が実際に運用する範囲を絞り、より詳細に規定したもの

当社は❷❸に対し、全社の「衛星・地上波提案TF」を中心に主体的な取り組みを実施するとともに、知的財産権の確立を推進しました。その結果、デジタル放送知財プール団体(アルダージ)の必須特許として、多数の特許登録を実現しています。

地上デジタル放送規格体系

画像:地上デジタル放送規格体系

送信機の開発 放送システムとテレビの連携を見据えて

「End to End」のコンセプトのもと、当社は、データ放送、電子番組表(EPG)、CAS(有料放送課金システム)などの放送局設備の開発も行いました。
放送局用マスターシステムは、映像・音声・サービス情報・電子番組表などを送出する基幹設備で、キー局と連携して番組を送出する地方局などが、多岐に渡る番組編成情報に従って、データストリームを構築する役割を果たします。
このシステムには、24時間365日連続運用に耐える高い信頼性が求められ、2重系で並行動作させて、リアルタイム監視することにより、瞬時の切り替えを可能にしました。
また、電子番組表システムは、急に番組が延長したり、緊急ニュースの挿入があったりしても、1秒以内に差し替えて、適切な電子番組情報の送出を行い、予約録画の失敗などが発生しない構成を実現しました。

画像:放送局用マスターシステム
放送局用マスターシステム

受信機の開発 パソコン心臓部の開発規模に匹敵

デジタルテレビ受信機の開発は、アナログ時代と比較すると桁違いの規模で、1990年にヒットしたアナログテレビ「画王」と比較すると、その開発工数の比率において、劇的な変化が起こります。
特に、LSIの規模は40倍に、ソフトウェアの規模は実に500倍になり、当時のWindowsパソコンのCPUとOSの規模に匹敵するまで膨れ上がりました。
これに対応するため、当社は、2000年に当時のAVC社にDTVネットワークソリューションセンター(DNSC)を設立し、全社からデジタルテレビの開発に関わる技術者を結集。テレビ設計部門と一体となって、2003年の地上デジタル放送の開始をターゲットに定めて、薄型テレビ「ビエラ」1号機の開発を推進しました。

テレビ受信機開発工数の比率変化

画像:テレビ受信機開発工数の比率変化

デジタルTV受信機のLSI/ソフト規模

画像:デジタルTV受信機のLSI/ソフト規模のグラフ

LSIの開発 フルHD対応半導体の1チップ化

デジタル放送受信の中枢は、電波から放送データを取り出すためのチューナー、デジタル復調部からなるフロントエンド部、そのデータを受信機で表示するためのマイコン、AVデコーダ、周辺インターフェイスからなるバックエンド部で構成されます。
当社は、本社技術部門、半導体社、DNSCが一体となり、1999年にCSデジタル放送時のSDサイズ(画素数:720×480)対応の1チップLSIを実現。その技術的蓄積をベースに、2002年にフルHD(画素数:1920×1080)対応の1チップLSIを開発しました。
フルHD対応LSIは、SDサイズの6倍を超えるデータの転送帯域と演算量が必要とされます。また、グローバルへの同時対応に向けてソフトウェアの処理性能向上も求められました。
これらに対応するために、半導体を微細化して集積度と周波数の向上を図るとともに、プロセッサベースのAVデコーダ(MCP)により、マイクロコードと呼ばれるソフトウェアを変更することで、グローバルな放送方式への対応も実現しました。

画像:フルHD対応半導体の1チップ化の開発年表

ソフトウェアの開発 Linuxを採用した共通プラットフォーム化でグローバル展開を実現

デジタルテレビ受信機では、テレビの基本機能である番組選局やオーディオ・ビデオ(AV)再生制御に加え、番組表提示、データ放送処理などを、すべてソフトウェアで制御しています。
最初のデジタルテレビ1号機では、リアルタイムOS上にテレビの基本機能を実装して商品化しました。しかし、その後に想定される映像配信等のインターネット機能の導入や、開発工数増大に対応するため、オープンな仕様を持つLinuxを世界で初めてテレビOSに採用し、広く世の中に普及しているオープンソフトの活用と、他社技術の効果的な導入を可能にしました。
さらに、デジタルテレビ(DTV)のソフトウェアを、Linux、AV再生、選局処理などの機種共通部分と、国、地域で異なる放送方式やデジタルサービスなどに分けた「DTVグローバルプラットフォーム」を開発し、効率的なデジタルテレビ受信機のグローバル商品化を実現。この技術は、現在のテレビにも受け継がれています。

DTVグローバルプラットフォーム概念

画像:DTVグローバルプラットフォーム概念

薄型・デジタルテレビ、2000年から2020年代

2000s

2000

4月 介護保険制度スタート
12月 BSデジタル放送開始

2001

9月 アメリカで同時多発テロ/インターネット・ブロードバンド化が進展

2003

5月 個人情報保護法公布
12月 地上デジタルテレビ放送開始、当初は東京・大阪・名古屋の3大都市圏

2005

2月 京都議定書発効

2006

4月 ワンセグサービス開始
12月 地上デジタルテレビ放送、全都道府県に拡大

2007

緊急地震速報開始
1月 アメリカ・Apple社、「iPhone」を発表
8月 アメリカでサブプライムローンこげつき問題表面化

2008

9月 アメリカの証券会社リーマンブラザーズ経営破綻により、世界規模の金融危機発生(リーマンショック)

2009

5月 家電エコポイント制度スタート

2010s

2011

3月 東日本大震災発生
7月 アナログ放送終了/テレビ放送完全デジタル化(東北3県は翌年3月)
10月 タイで大洪水発生、製造業サプライチェーンに大打撃。円相場一時1ドル75円78銭の戦後最高値を記録

2012

5月 東京スカイツリー開業

2013

9月 2020年夏季オリンピック・パラリンピック開催地が東京に決定

2014

4月 消費税、5%から8%へ

2016

6月 イギリス、EU離脱を決定/欧州各地で難民問題深刻化/世界各地でテロ相次ぐ

2018

4K、8K放送開始

2019

10月 消費税、8%から10%へ

2020s

2020

3月 WHOが新型コロナウィルスのパンデミックを宣言

2021

1月 イギリスEU離脱
7月 東京オリンピック
8月 パラリンピック無観客開催

2022

2月 ロシアがウクライナに侵攻

地デジ化とともに薄型テレビに本格参入、「VIERA」を発表、2003年

地上・BS・110度CS
デジタルハイビジョン
テレビ「VIERA」
TH-42PX20

写真:地上・BS・110度CSデジタルハイビジョンテレビ「VIERA」、TH-42PX20

21世紀に入ると、テレビ放送のデジタル化が進みます。当社は、日米欧のデジタル放送方式の規格化をリードし、他社に先行してデジタルテレビを商品化しました。また、日本のBSデジタル放送、地上デジタル放送の開始時には、データ放送の送受システムを開発するなど、新放送の立ち上げに貢献。こうしたデジタル化とともに、受像機の薄型化・大画面化が加速し、テレビは再び発展期へと入ってきます。地上デジタル放送がスタートした2003年、当社はプラズマや液晶などの薄型ディスプレイを採用した新ブランド「VIERA(ビエラ)」を発表しました。「VIERA」とは、VISION(映像)+ERA(時代)を合わせた造語で、キャッチフレーズは「一枚の知性体」。インテリア空間に家具のごとく溶け込み、新時代の映像生活を提案するという思いが込められました。「VIERA」ブランドはディスプレイが有機ELへと進化した現在も使用しています。

くらしスタイルseriesの展開、2023年

レイアウトフリーテレビ/ウォールフィットテレビ/プライベート・ビエラ

写真:レイアウトフリーテレビ、ウォールフィットテレビ、プライベート・ビエラ

従来のテレビはアンテナ線やレコーダー等の機器のケーブルが届く範囲でしか設置出来ず、「テレビの位置によって家具のレイアウトが制限される」、「テレビがインテリアになじまない」といった声がありました。それを受け、当社では、4K無線伝送技術を駆使し、住空間の新たな活用方法を提案するレイアウトフリーテレビを開発。これに、ウォールフィットテレビ、プライベート・ビエラを加えた3つの商品群を「くらしスタイルシリーズ」と名付け、「テレビの場所が自由になると、くらしはもっと自由になる」をコンセプトに住空間とテレビの新しい関係を提案していきます。

画像:業界初4K放送の無線伝送を実現

大きな産業に成長したテレビジョン技術のはじまりをご紹介。

テレビ開発で培った諸技術が進化し、さまざまなビジネスに拡がる様子をご紹介。

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