光の知究儀
光の知究儀では、偉人たちの疑問から生まれた発見を各年代からご紹介いたします。
ピタゴラス教団から湯川秀樹氏まで、古今東西の理科・数学(算数)に関わった人々が、いつの時代に、どんなことを成し遂げたのか、歴史を知って、理科や算数(数学)の理解を深めよう!
古代の偉人たち
ピタゴラス
(紀元前582 ー 紀元前496)
「数が宇宙を支配しているのではないだろうか。」
直角三角形の3辺の長さの関係を表す「ピタゴラスの定理」で有名な数学者・哲学者。
プラトンに大きな影響を与えました。音階や天体の動きなど、この世の「美しい」もの全てが数で理解できると考えて行った様々な研究は、今日の学問の基礎になっています。
アルキメデス
(紀元前287 ー 紀元前212)
「重たいものを持ち上げるにはどうしたらよいだろうか?」
王冠が純金製か否かを調べるときに思いついた「アルキメデスの原理」で有名。
ねじの発明、滑車を組み合わせて軍艦を引きあげるなど、科学を実際に役立てることにも秀でていました。
少ない力で重いものを動かす「てこの原理」で、「地球さえ動かしてみせる」と豪語したそうです。
祖 沖之(そ ちゅうし)
(429 ー 500)
「暦のずれを補正するにはどうしたらよいのだろうか。」
方角を知ることができる指南車の発明、円周率を小数点以下の6桁まで正しく計算したことなどで有名な、中国の天文学者・数学者です。その頃使われていた暦が実際の季節に合わないことに気づき、そのズレを考慮した新しい暦「大明暦」を作り出しました。
ブラーマグプタ
(598 ー 665)
「負の係数をもつ二次方程式の解を正の数と同じように扱っていいのだろうか?」
全25章からなる大著「宇宙の始まり(プラーマ・スプタ・シッダーンタ)」を記した、インドの数学者・天文学者です。「0」についての記述がある、現存する最古の本です。
またこの本には、負の数字や二次方程式の解の公式についても書かれています。
アル=フワーリズミー
(780 ー 850)
「方程式にはいろいろあるが、どのように分類したらよいだろうか?」
数学・天文学・地理学・暦学などの分野で広く活躍しました。
彼の著書の中では使われた言葉は、代数学(algebra)、計算の手順を意味するアルゴリズム(Algorithm)など、今も使われている多くの数学用語の語源になっています。
レオナルド=フィボナッチ
(1170 ー 1250)
「うさぎのつがいの数は、どうやって増えていくのだろうか?」
うさぎの増え方の他にも、木の枝分かれの様子やヒマワリの種の並び方など、自然界に深く関係する「フィボナッチ数列」が有名です。また、当時主流だったローマ数字よりもアラビア数字(0,1,2,…)のほうが計算に便利なことに気づき、広くヨーロッパに紹介しました。
近代の偉人たち
レオナルド・ダ・ヴィンチ
(1452 ー 1519)
「鳥はどうして空を自由に飛べるのだろうか?」
モナリザを描いたことで有名な「万能の天才」です。他にも彫刻・建築・土木など、極めて広い分野で活躍しました。鳥が飛ぶ様子を詳しく研究し、いくつかの飛行装置を試作しました。彼のノートには、飛行機やヘリコプターに似た装置など、時代を先取りしたようなメモが多数残っています。
ニコラウス・コペルニクス
(1473 ー 1543)
「天は地球を中心に回転しているのだろうか?」
当時主流だった「天動説」を覆し、古代ギリシア時代からあった「地動説」に改めて注目しました。
これは天文学史上最も重要な再発見と言われ、ガリレオやニュートンなど、後に続く人物に大きな影響を与えました。
また、太陽の周りを地球が365.2425日かけて回っていることを計算しました。
ジョン・ネイピア
(1550 ー 1617)
「かけ算数を、足し算のように簡単に扱えないだろうか?」
「小数点」を使って小数を表すことを初めて考えた数学者です。
また、かけ算を足し算に、わり算を引き算に変える「対数」を考え出しました。
おかげで科学に必要な計算が簡単になり、ネイピアは「天文学者の寿命を倍に伸ばした」と言われています。
ガリレオ・ガリレイ
(1564 ー 1642)
「重いものと軽いものは同時に落下するのだろうか?」
「それでも地球は動いている」と地動説を強く賛同したことや、星を観測するために性能の良い望遠鏡を作ったことで有名な「天文学の父」。2つの玉を同時に落とす実験を行い、「物が落ちる速さは、重さに関わらず同じ」であることを、実際に確認したと言われています。
ボナヴェントゥーラ・カヴァリエーリ
(1598 ー 1647)
「タルの中のお酒の量をどうやって測ったらよいだろうか?」
同じ高さでかたちが違う2つの立体を底面に平行に切ったとき、切り口の面積が全て等しければ、2つの立体の体積は等しい、という「カバリエリの定理」を唱えた、イタリアの数学者です。
微分積分分野の権威として、多大な影響を残しています。
関 孝和(せき たかかず)
(1635 ー 1708)
「多変数の方程式の答えは、一通りに決まるだろうか?」
西洋に先駆けて行列式の考え方を提案するなど、世界に誇る日本独自の数学である「和算」の基礎を築きました。中国から伝わった計算法を改良して「点竄(てんざん)術」という方法を考慮し、多変数の方程式を表して答えを計算できるようにしました。
アイザック・ニュートン
(1642 ー 1727)
「リンゴが落ちるのは、なぜだろうか?」
「万有引力の法則」の発見、「微積分」の発見、光の分析、この3つの偉業を、1655年からおよそ1年半の間に成し遂げました。この期間は、「ニュートン驚異の年」と呼ばれています。
彼の限りない好奇心は、他にも数々の輝かしい功績を生み、近代科学に多大なる影響を及ぼしています。
ゴットフリート・ライプニッツ
(1646 ー 1716)
「記号と記号のやりとりで、考えのやりとりができるのではないだろうか?」
数学・哲学・論理学・政治学・法学などあらゆる分野で活躍した、稀代の知的巨人。
ニュートンとは独立に微積分を発見、その計算記号を考案しました。
また、二進法の確率や様々なことを記号で表して単純計算のように扱うという考えは、現代のコンピューター技術につながります。
ダニエル・ベルヌーイ
(1700 ー 1782)
「実験を何回も行えば、結果は一定の割合に近づくのではないのだろうか?」
ベルヌーイ家は、多くの数学者・物理学者を生みました。
「より多くのデータから確率を求める方が、真の確率に近づく」とする「ベルヌーイの大教の法則」のヤコブ、微積分の研究を行った弟のヨハン、その息子で流体力学の「ベルヌーイの法則」を発表したダニエルが有名です。
レオンハルト・オイラー
(1707 ー 1783)
「三角関数と指数関数には、何か関係があるのではないだろうか?」
18世紀最大・最高の数学者、編み出した公式は数え切れず、多面体の頂点、辺、面の数に関する「オイラーの多面体公式」が非常に有名です。
三角関数と指数関数の関係を考えた彼は、円周率Π、自然対数の底e、虚数の単位iと1が美しく結びつく「オイラーの等式」を見つけました。
ジェームズ・ワット
(1736 ー 1819)
「蒸気をもっとパワーアップして利用できないだろうか?」
電力のなどを表す単位「ワット」に名を残す数学者・技術者です。
熱と力の関係を研究し、それまでの蒸気機関を劇的に改良して、力強くコンパクトなものにしました。
また、大きな力をうまく利用してできる仕組みも発明し、産業革命に大きく貢献しました。
アントワーヌ・ラヴォアジエ
(1743 ー 1794)
「燃えるってどういうこと?」
燃焼の研究にうちこみ、精密な実験を何度も繰り返して、「燃焼とは、物質と酸素が結合する化学反応」であることを証明しました。
この発見を基礎に、化学反応の前後で質量は変化しないという「質量保存の法則」を発見した「近代科学の父」です。
ピエール=シモン・ラプラス
(1749 ー 1827)
「神が決めていると思ったけど、微積分や運動方程式で決められているのでは?」
確率論を研究し、数学的に確率を求める方法を発展させました。
彼は、世界に存在する全ての原子の位置と運動量を知ることができれば、これから起こる全てのことは計算可能であると考えました。
このような超越的な架空の概念を、当時の人々は「ラプラスの悪魔」と呼びました。
アメデオ・アヴォガドロ
(1776 ー 1856)
「物質をどんどん分解していった先の、究極の姿はなんだろう?」
圧力・湿度・体積が同じなら、どんな気体にも同じ数の分子が含まれているという「アヴォガドロの法則」で有名です。物質が構成されたり化学反応が起こったりする単位は分子で、分子は原子がくっついてできていると考え、分子論・原子論の基礎を確立しました。
カール・フリードリヒ・ガウス
(1777 ー 1855)
「正17角形は、作図することが可能だろうか?」
磁力の単位「ガウス」が最も有名ですが、彼は近代数学にも広く影響を与えました。
当時、定規とコンパスだけで作図できるのは正3角形と正5角形のみだと考えられていましたが、正17角形も可能であることを発見。種類が増えるのは約二千年ぶりのことでした。
マイケル・ファラデー
(1791 ー 1867)
「電流が磁石を作るのなら、磁石が電流を作れるのでは?」
磁石が電流を作り出す「電磁誘導の法則」、その他にも「電気分解の法則」、化学実験で使うバーナーの発明などで有名です。身近なものを「科学」して最大級の発見をし、後世に多大な影響を与えました。
著書「ロウソクの科学」は、今も世界中の子どもたちに愛されています。
ニコライ・ロバチェフスキー
(1792 ー 1856)
「1点を通る平行線が空間上に無数にひけるかもしれないんじゃないかな?」
平面にある図形について考える「ユークリッド幾何学」とは異なる、曲面における「非ユークリッド幾何学」を考え出しました。
21歳の若さで大学教授となり、その後も学長を20年間勤めるなど、教育者としても優秀でした。
ドミトリ・メンデレーエフ
(1834 ー 1907)
「誰かボクの周期律表の空欄を埋めてくれないかな?」
元素を質量の順に並べると、似た性質のものが周期的に現れることに気づき、元素周期律表を完成させました。さらに、当時はまだ見つかっていなかった元素の存在を表の空欄から予言し、後にその予言どおりの発見が多くなされました。
トーマス・エジソン
(1847 ー 1931)
「何事ももっと良い方法があるはずじゃないかな?」
「天才とは1%のひらめきと99%の努力による」の言葉で有名な「発明王」です。
蓄音器・発電機・白熱電球・映写機などたくさんの製品を改良・発明し、一般家庭に広く電気を普及させることにも成功しました。
この功績から、彼は「20世紀を発明した」とも言えます。
フェリックス・クライン
(1849 ー 1925)
「いろんな種類の幾何学は、変化群によって決まるのでは?」
裏表のない「クラインの壺」を考案した数学者。
当時バラバラに乱立していたいろいろな幾何学を、変換群という切り口でわかりやすく分類・整理し、どのように研究すべきかを示しました。これは後に「エルランゲン・プログラム」と呼ばれ、その後の幾何学研究の基礎となりました。
アンリ・ポアンカレ
(1854 ー 1912)
「ドーナツもコーヒーカップも同じ形だと考えても良いだろうか?」
つながっているか、穴がいくつあるかに注目して形を考える”やわらかい”幾何学、「位相幾何学(トポロジー)」の概念を発見しました。
彼が提唱した「ポワンカレ予想」は、100万ドルの懸賞金が掛けられた数学上の難問7つのうちの1つでしたが、およそ10年を経て、つい最近証明されました。
マリ・キュリー
(1867 ー 1934)
「この新しい放射能物質は何だろう?」
女性として初めてノーベル賞(物理学賞)を受賞し、8年後にはさらに化学賞も受賞した、ポーランド出身の物理・科学者。「キュリー夫人」として有名です。
ウランから別の放射能が出ていることに気づいた彼女は、実験に実験を重ね、ラジウムとポロニウムを発見しました。
南方 熊楠(みなかた くまぐす)
(1867 ー 1941)
「この世の中に、不要なものなんてないんじゃないかな?」
「歩く百科事典」と呼ばれた、明治時代の世界的博物学者。
動物と植物の特徴をあわせ持つ粘菌を研究したことで有名です。
森林伐採による生態系の破壊を憂い、地元 田辺(和歌山県)で自然保護運動に打ち込みました。
それは、世界遺産となった熊野古道が現代に残ることにもつながりました。
グリエルモ・マルコーニ
(1874 ー 1937)
「どんな遠くの人でも交信できるだろうか?」
電磁波を使って遠くの人と通信できるのではないかと考え、大西洋を超える無線通信実験に初めて成功した「無線の父」。
この技術を発展させ、実用化にも成功した功績が認められてノーベル賞を受賞しました。
これは、今日のテレビ放送や携帯電話にもつながっている技術です。
現代の偉人たち
アルベルト・アインシュタイン
(1879 ー 1955)
「光も重力で曲がるのか?」
「相対性理論」で有名な、20世紀最大の理論物理学者。
光の速度を基準に時間や空間が伸び縮みするなど、彼の理論は、それまでの物理学を再構成する革命的なものでした。科学の発展の成果が兵器に利用されることを憂えた彼は、晩年、核兵器廃絶と科学の平和利用を強く訴えました。
松下 幸之助(まつした こうのすけ)
(1894 ー 1989)
当時の家庭の多くは電灯ソケットが唯一の電源だったため、電灯と同時にアイロンなどの他の電気器具も使えるようになる「二股ソケット」はとても便利だと評判になりました。
「社会生活の向上と世界文化の進展に寄与する」という創設者・松下幸之助の理念は、今日もパナソニックグループへと受け継がれています。
ノーバート・ウィーナー
(1894 ー 1964)
「機械のシステムも、生物が手足を動かすプロセスと同じ様に議論できるのでは?」
生き物のように、ある行動の結果を次の行動に生かす「フィードバック」を機械に行わせる、「サイバネティクス理論」を創設しました。これは今日の産業用ロボットや人工知能の開発につながっています。
またこの言葉は、仮想空間を意味する「サイバー」の語源にもなりました。
岡 潔(おか きよし)
(1901 ー 1978)
「数学も自分の情緒を外に表現する学問芸術では?」
「情緒」に基づいて独自の数学世界をいきた数学者。
発表した論文の数は少ないほうでしたが、その研究内容は膨大な範囲に及びました。
当時のヨーロッパでは、それがたった一人の手によるものとは信じられず、「オカ・キヨシ」は数学者の集団の名前だと思われていたそうです。
ジョン・フォン・ノイマン
(1903 ー 1957)
「高速に計算を行う機械は、どうやったら、つくることが可能だろうか?」
超人的な記憶力・計算能力を持った「コンピューターの父」。
原子爆弾の開発に伴う膨大な計算を行うために、世界初と言われるコンピューターを開発しました。
現在、私たちが使っているコンピューターは、ほとんどが「ノイマン型」と呼ばれるものです。
湯川 秀樹(ゆかわ ひでき)
(1907 ー 1981)
「陽子と中性子という別々の粒なのに、どうして一塊になっているんだろう?」
日本人初のノーベル賞受賞者です。原子核をつくる陽子と中性子がバラバラにならないのは、中間子という小さな粒をキャッチボールしているからだと予測し、後に正しいことが証明されました。
晩年はアインシュタインらに賛同し、核兵器廃絶と科学の平和利用を世界に訴えました。
アラン・チューリング
(1912 ー 1954)
「数学をコンピューターによる計算を扱うことが可能だろうか?」
無限に長いテープと、情報を読み書きするヘッドからなる「チューリングマシン」という仮想機械の概念を発表しました。これは、現在のコンピューターを先取りしたような考え方です。
コンピューターの世界で最も権威のある「チューリング賞」に、その名を残しています。
ジェームズ・ワトソン
(1928 ー )
「この二重らせんが私たちの姿を決めているのだろうか?」
DNAが二重らせん構造であることを、フランシス・クリックと共につきとめた分子生物学者です。
この発見は、現代のゲノム研究やバイオテクノロジーなどを飛躍的に発展させる突破口となり、その大きな功績から、ノーベル生理学・医学賞を受賞しました。