1922年(大正11年)
第1次本店・工場を建設
1924年ころの工場風景
家内工業から小企業へ
1920年2月、所主は京都・石清水八幡宮の「破魔矢」と松下の頭文字「M」を組み合わせ、初めての商標「M矢のマーク」を作った。これには障害を突破し、目標に向かって突き進む意味が込められていた。
同年3月には、東京方面の販売を伸ばすために、東京駐在を設置した。そして弱冠17才の義弟を駐在員として派遣した。
同年6月、かねてから申し込んでいた電話の抽選に当たり、初めて電話を架設した。
一般の景気はますます深刻化していたが、わが社の経営は順調に推移し、配線器具の販売も増え続けた。そこで隣家を借りて作業場を増設し、増産に努めたが追いつかず、ついに新しく工場を建設する決心をした。230平方メートルほどの近所の空地を借りることにし、所主自ら工場と事務所を設計した。
本店と工場は1922年7月に完成した。不況下にありながら、この積極経営により販売はさらに増加し、年末には従業員50人を数えるまでになった。
創業以来4年間で家内工業の域を脱し、小さいながらも工場らしい工場を持つ小企業へと発展したのである。
初めての商標「M矢のマーク」
1924年に再開された東京出張所とそのスタッフ