1920年(大正9年)
「歩一会」を結成
1925年、大津・石山寺での「歩一会」の春期行事。中央右寄り、旗の手前が松下所主。
全員が心と歩みを一つにして
当時、第1次世界大戦後の復興需要による好景気で、どの工場も活況を呈していた。そのために人を採用するのが大変な苦労で、所主は従業員の大切さを身をもって知らされた。そして知らず知らずのうちに毎朝、工場の前に立ち「彼は今日も来てくれるかな」と従業員を迎えるのが習慣となった。
そのうち、従業員が増えるに従い、自ずと人の育成ということに心をくだくようになった。当時、配線器具に使われていた練り物の調合法については、どの業者も秘密にして、従業員には教えないのが普通だった。ところが所主は「そんなことにとらわれていては事業は伸びないし、人も育たない」と言い、適任となれば、新しく入った従業員にもそれを教えて仕事をさせた。
そうした折、突如、戦後恐慌が起こり、好況ムードは一瞬にして暗転した。企業倒産が全国的に波及し、街には失業者があふれ、労働運動は激化した。こうした社会不安が広がるなかで所主は、全員が心を一つにしなければならないことを痛感し、1920年3月に、自分も含めた全従業員28名からなる「歩一会」を結成した。
歩一会はその後、従業員のレクリエーション活動、運動会、文化活動などの実行組織として、従業員の心のつながりを強めていく上で大きな役割を果たしていくことになる。