■22歳 独立
22歳の春、憧れの検査員に昇進した幸之助はソケットの改良に熱中するようになり、試作品を上司に見せて実用化を提言します。ところが、これが認めてもらえません。ならば自分の手で――この気持ちに駆られて幸之助は、1917(大正6)年6月、7年勤めた大阪電燈に別れを告げます。