後援:文部科学省 国連広報センター 日本ユネスコ国内委員会 全国市町村教育委員会連合会 全国高等学校メディア教育研究協議会
――最終審査会の審査員をやられるようになった経緯を教えてください。
山口(敬称略) もともとパナソニックの乾電池のCMでお仕事をいただいていて、その担当者の紹介でお声がけいただきました。子どもたちが作った映像を観られるだけでも楽しそうだったのでお受けしました。
KWNのことは、存在自体は何となく知っていましたが、映像コンテストを開催しているなど、概要はまったく知りませんでした。活動内容をうかがって、「すごくいい試みだな」と感じたのが第一印象。今でこそ、SNSでの動画投稿など映像が一般的になっていますが、当時はまだそこまでではなく、映像文化の間口を広げるのはもちろん、映像の正しい使い道を示していける活動だと思いました。
――審査員を10年近く続けられていて、どんな時に面白さを感じていますか?
山口 子どもたちが作った作品を観るだけで、いつもワクワクしています。自由な発想で作っている作品が多く、「こんな作り方をするんだ」と驚かされることも多々あり、常に新鮮な感覚を楽しんでいます。
――子どもたちの作品を審査しなければならないので、楽しさばかりではないですよね。
山口 その通りです。普通の映画やドラマと同じように、正直、根本的なところで映像の好き嫌いが出てきてしまう部分もあります。ですので、ニュートラルな状態で点数を付ける難しさはあります。
また、採点表には学校にフィードバックするためのコメントを書く欄があるのですが、そこに何を書くか本当にいつも悩ましいです。子どもたちが作った作品を、大人の目線で審査するところがあるので、自由な発想を崩さないようなコメントを書くように心がけています。
――子どもたちの感性に刺激されることで、山口さんのお仕事に影響を与えたことはありませんか?
山口 偶然のめぐり合わせはありました。立川ろう学校が作った「New friend」(2018年度)という作品が最優秀作品賞を受賞したのですが、グランプリを獲得した物語を映像化してほしいという依頼が、パナソニックから私の会社に来たのです。パナソニックの担当者は発注した会社に審査員がいるとは知らなかったと思います。私のところに話が舞い込んだのは本当にたまたまで、シナリオを書いた松野さん(20人インタビューにも登場)を主人公に、「From KWN To The WORLD / Voice」という映像を作ったことがあります。
――山口さんは作品を審査する時に、何を重視したり、心がけたりしていますか?
山口 私がアサインされた理由としては、映像の現場にいる作り手だからだと思います。ですから、映像技術の面は重点的に見るように意識しています。意外に簡単そうに見えて、実は難しい撮影をしている作品も結構あります。例えば、歩いている人を追いかけるシーンで、カメラが揺れないように撮るのは意外と難しかったりします。
単純に場面の切り替えだけではなく、アングルで表現する作品も増えていて、そんな時はそのアングルに特別な意図がないか、注意深くチェックします。例えば、悩んでいる人を後ろ姿だけで見せるなど、アングルによって観る人の想像力を広げる演出をしているとハッとすることもあります。
もちろん映像技術だけでなく、気持ちの部分、子どもたちの想いが伝わる映像かどうかも重視しています。大きく分けてドキュメンタリーとドラマがありますが、個人的にはドラマが好きなので、ドラマ作品では、何を伝えたいのか、その想いがどれほど強いかをしっかり見るようにしています。
――子どもたちの作品を審査していて、作品のテーマや傾向に、何か変化を感じることはありますか?
山口 震災やコロナ禍など、何か大きな出来事があると、それを題材にする作品は当然増えます。しかしそれは題材が変わっただけで、作り手がどう作るか、根本的な部分は変わっていないと思います。
ただ最近感じるのは、ミラーレスなど一眼カメラで動画が撮れるようになって、レンズの被写界深度やボケ足みたいなところをきちんと作って来る作品が増えたことです。子どもたちの感じ方やモノの捉え方は大きく変わっていませんが、先ほどのアングルの話も含めて、映像が美しくなった印象は強く感じています。
本当に最近の作品は洗練されています。具体例を挙げるなら、宮崎日本大学高等学校。毎回、クオリティの高い作品を出してきますが、特に驚いたのが「ボクのこと ワタシのこと」(2021年度)です。ジェンダーを扱ったテーマもそうですが、撮影技術と編集技術が洗練されていて、アングルの工夫も随所に見られました。子どもの演出はプロでも苦労するところですが、作品に登場する小さな子どもの表情もすごく自然で良かったです。
――KWNの意義とは何だと思いますか?
山口 冒頭でも触れましたが、携帯電話やタブレットで撮った動画をSNSに上げるなど、映像が非常に手軽なものになっています。こうした状況下で、テーマや伝えたいことをものすごく考えて、それこそ観る人の気持ちまで考えて映像を作ること自体が、すごく意義があると思います。
映像を作る時に想像力が大事で、「こういう表現をしたら相手はどう感じるのか」「自分はこれで理解できるけど、相手に意図は伝わるかな」ということを考え尽くします。こうした考え方は、将来、映像の仕事に就かなかったとしても、役に立つ経験です。そうした観点からも、KWNの活動は子どもたちにとって意義があると思います。
――活動内容、運営、審査方法など、現在のKWNについて何か提言はありますか?
山口 活動内容や運営に関しては、みなさん子どもたちのことを第一に考え、試行錯誤をしているのが伝わってきます。
撮影技術が優れている作品が増えている昨今、審査については技術も大事ですが、子どもたちの気持ちがきちんと伝わるかが重要で、自由な発想を阻害しない審査方法が大切です。現在の審査は採点形式を取っていますが、そのあたりのバランスを取るために、私を含め、審査員の先生たちの議論も重視しているスタンスはいいやり方だと思っています。
――最後に子どもたちに向けてメッセージをお願いします。
山口 映像制作は想像力を養えます。そして考え抜いて作ることは大事ですが、根本的には映像は楽しいものです。「こうしなければいけない」「これが正しい」というのはないので、自由に、楽しく、作品を作ってください。将来的に作る側ではなくなったとしても、映像を好きになってください。
「New friend」
(2018年度/東京都・東京都立立川ろう学校)
「自分たちのことを描いているので、想いの強さがやはり伝わってきます。心の叫びにも受け取れたので、すごく印象に残っています」
「From KWN To The WORLD / Voice」
――KWNのオンライン表彰式の司会を担当されたのがきっかけで、審査員をやられているそうですね。
香月(敬称略) 2012年に、東日本大震災の影響でオンライン開催になった表彰式の司会を私が担当しました。それがKWNとの初めての出会いです。
当時、委員として参加していた東京都生涯学習審議会の要請で、地域と学校を結ぶための地域コーディネーターの養成をしていました。その際に、都主催のフォーラムに登壇していただいたパナソニックの方から、司会のお声がけをいただいたのです。
――KWNの活動概要を知り、どのような印象を持たれましたか?
香月 司会を受けた時に、KWNがどういうものなのか知りたくて、無理を言って予備審査の会場を見学させていただきました。多くの作品を、予備審査員の方々が1作品1作品、丁寧に観ていました。多少おぼつかない作品もありましたが、自分の子どもの作品を観ているかのような愛情を感じられて……。パナソニックの方々が大切にしているコンテストだということが心からわかりました。
その数年後、審査員として初めて参加した最終審査会でも、どの審査員も真剣そのもの。予備審査会の様子と全く同じ状況で、「立場は違っても注ぐ愛情と、作品に対する敬意は変わらないな」と思いました。
――香月さんの話を聞いていると、審査会を楽しんでいるような印象を受けます。
香月 たくさんの力作にいち早く会えるのは本当に楽しいのですが、審査は毎年大変です。
大変ではありますが、同じ作品でも人によって観点が違っていて、他の審査員の視点は興味深く、勉強になります。みなさんそれぞれ意見や想いを本音でぶつけ合い、「なあなあ」で進むことが絶対にありません。最優秀作品賞が決まりかけたところで、1人の審査員の意見でまた話し合いが始まり、覆ったこともありました。それだけ全員が真剣ですし、私も気を引き締めて審査にあたっています。
――どんなところが「勉強になる」と感じるのでしょうか?
香月 私が審査員として求められている観点は2つあると思っています。1つはアナウンサーとしてのしゃべりの技術。技術というと誤解されそうですが、「話し方や言葉に味わいがあるか」「作品に合った話し方をしているか」といったことです。
もう1つは、教育現場に関わってきた専門家としての視点。やはり、先生と生徒の関わり方ですとか、教育として子どもたちにどんな影響を与えているかが大切です。子どもたちが主体的に活動しているかどうかは、作品に映し出されるものなので、そのあたりを見るように求められていると思います。
ところが他の審査員の方々は、私と違う専門的な視点をそれぞれがお持ちです。例えば、山口(香)さんなら、「こうした新しい技術を使っている」「このカットは」「この音は」と、撮影技術について1つ1つ説明してくれたりします。またアニメーション作品の場合は、伊藤(有壱)先生が解説してくださるなど、みなさんの専門的な話は私にとってどれも新鮮ですし、「こんな見方があるのか」と感心させられることも多々あります。
――香月さんご自身は、“役割”とは別に、どんなところを意識しながら子どもたちの作品を審査していますか?
香月 作品の背景にある“関わった人たちの学び”を意識して観ています。出演している人は数人だとしても、カメラや音響などのスタッフもいますし、先生や保護者、インタビューを受ける地域の人など、子どもたちの後ろには多くの人が存在します。多くの人が関わる中で、例えばインタビューを受けることで「子どもたちにこういう風に見られているんだ」と大人でも何かを学ぶことがあるかもしれませんし、成長する子どもたちの姿を見ている先生にとっても「こうすれば学びになるんだ」と改めて整理ができたり、先生なりの気付きもあると思います。それが子どもたちに化学反応を起こし、いい意味での相乗効果を作品から読み取れることがあります。直接の加点にはつながりにくい部分ではありますが、ちゃんと学びがあるか、どんな学びになっているか、そこを頭の中で意識しながら審査をしています。
――大変そうですね。
香月 大変ですが、「嫌だな」とは思いません。子どもたちは、みんなそれぞれ考えて、頑張って、いろいろな人たちに助けられて、みんなと一緒に作品を作ります。しかも、5分に収めるために、削りたくないものを削る苦しみを経て1つの作品を作り上げるではないですか。そうした背景を感じてしまうから、当落をつけないで全員に賞をあげたくなってしまいます。ですから、賞を決めなければいけない大変さはあります。本音を言えば、子どもたちの作品をゆっくり楽しみながら観たいです(笑)。
――審査員になられて10年近く経ちます。時代による作品の変化を感じますか?
香月 動画を撮ることが子どもたちにとって身近になり、技術的な作品のクオリティは私が教えてほしいと思うほど上がっています。
テーマに関しては、例えば震災やいじめ、コロナなど、時々の世相を敏感に感じ取って自分たちの視点でそれを伝えようとしている作品が多くなったと感じます。
――KWNの意義とは何だと思いますか??
香月 映像を作るというのがやや特別だった時代から、簡単に発信できる時代となり、KWNの意義は年々変わっていると思います。現在は、グローバルなテーマであるSDGsについて深く学ぶ機会にもなっていると感じています。
また、私は学校と学校外をつなぐ活動を四半世紀行っています。社会教育の文脈から学校教育を眺めると、学校で勉強するだけが学習ではなく、学齢期にある子どもたちだけが学習をすればいいわけではないという2つの観点が見えてきます。子どもたちがさまざまな価値に触れ、探究すること、関わった人すべてが主体的に学べることはまさに生涯学習で、それを実現しているのがKWNなのです。
――今後KWNに期待することは何ですか?
香月 KWNはアメリカの貧困層への応援として始まったと伺っています。映像が一般化され誰でも発信できる時代になったとはいえ、日本でも貧困問題などで機会を与えられない層はあると思います。最初から機会に触れられない、触れることを諦めている児童生徒がいれば、その層にしっかりとリーチし、「自分も参加したい」「自分もできた」という意欲や自己肯定の芽が出るような種を蒔けたらいいですね。
――先生へのメッセージもお願いします。
香月 参加してこられた先生に対しては、先生一人ひとりの尊い想いで日本の教育が成り立ってきたということに、心から尊敬いたします。大変だったと思いますが、外部と関わりながら、教育活動を続けていくというのは、子どものみならず、自身の学びという意味でも素晴らしいことだと思います。ぜひ、そのすばらしさを自身の胸の内にとどめず、周りの先生方に話してほしいなと思います。
これから参加をお考えの先生も、KWNは面白いでのでぜひご参加ください。いろいろ考えるより、まずはやってみてはいかがでしょうか。
「野麦峠を越えた少女たち」
(2012年度/長野県・松本市立奈川中学校)
「最優秀作品賞の受賞の様子を配信していたため、発表当日にトロフィーを渡しに行くという企画で私も学校に伺いました。保育園からずっと同級生の生徒さんたちが、義務教育最終学年で作った地域調べの作品で、昔の女性がどのように過ごしてきたかを丁寧に取材、構成していました」
―2008年度グローバルコンテスト(環境部門)ではグランプリも受賞しています。すごい実績ですね。
秋山(敬称略) 中学1年の終わり頃から映像制作を始めて、主に中学2年、3年で活動しました。放送委員会顧問の原先生(20人インタビューにも登場)は映像制作に長けていて、校内の映像物を私たちと一緒に作っていました。「水は世界をめぐる」では、企画、撮影、ナレーション、編集など映像制作のすべての作業を私を含めて3人でこなしました。原先生は、私たちの自主性を重んじてなのか、あまり口を出さず、ロケ地への送迎や同行など裏方に徹していました。
――「水は世界をめぐる」のテーマを決めたのも秋山さんたちですか?
秋山 原先生は理科の先生で、当時、理科室のゴミ箱を古新聞で作っていました。たまたまゴミ箱になっていた新聞に“水戦争”という文字を見つけて、「なんだろう?」と疑問をもったのが、テーマを決めたきっかけです。
――中学3年だと高校受験も控えていたと思います。勉強との両立は大変だったのでは?
秋山 本業である勉強や部活動もあったので、映像制作にかけられる時間は限られていました。でも、好きでやっていたことなので、辞めたいと思ったことはありません。それどころか、「映像制作をしているせいで」と言われるのが嫌で、勉強や部活動をおろそかにしたくないという意地がありました。そのため、自分なりに時間を作る工夫をし、早起きをして、勉強して、部活動に行き、授業を受けて、休日には映像制作をして……、こんな生活を2年間ぐらい送っていました。今考えても、笑っちゃうくらいにストイックだったなと思います。
――先ほど原先生のお話が出ましたが、大人になった今、当時を振り返り、先生の立ち位置についてはどう思いますか?
秋山 子どもたちがどうやりたいかが大切で、自主性を損なわないようにうまいことサポートするのが大人の役目だと思います。そう考えた時に、当時の原先生は、それを体現していました。先生ご自身は、きっと裏では多くの時間を私たちのために割いていて、「私たちでやっている」という感覚を私たちが損なわないように配慮していたと思います。子どもたち主導を取りつつも、突き放さない距離感だったのではないでしょうか。
―中学時代の映像制作の経験が、その後、役に立ったと感じたことはありますか?
秋山 KWNの経験があったからとは言い切れませんが、根本的には影響を与えられていたのだと思います。結局、大学時代に就職先としてパナソニックを候補の1つにあげたのはKWNに参加したからですし、最終的には映像ではなく広告でしたが、コンテンツ制作など、クリエイティブな仕事に興味をもつきっかけになったのは、ゼロから何かを作る喜びを映像制作で知ったからです。
パナソニック時代は家電製品の広告宣伝の部署に配属され、広告物の制作に携わりました。仕事は大変なことの連続で、それでも仕事を嫌いにならずにやりがいを感じていられたことを考えても、少ながらず何らかの影響はあったのかもしれません。
――映像制作はコミュニケーション能力や協働性を育むことができると言われます。その点はいかがですか?
秋山 学校の規模とか、取り組む子どもの人数にもよるので一概には言えませんが、私たちの話だけで言うと、絆はすごく深まったと思います。「水は世界をめぐる」は3人で作りました。いつもと違う場所にロケに行くなど楽しいこともありましたが、一方では、やはり「創る苦しみ」みたいなものは感じていました。苦楽を一緒に経験し、1つの作品を作り上げたのですから、絆が深まるのも当たり前と言えば当たり前だったのかもしれません。
――ストイックな生活を送ったり、それこそ苦しいことも多かったのに、どうしてそこまで続けられたのでしょうね。
秋山 結局は本人のやる気次第、どれだけ熱量をもってやれるかだと思います。両親や家族の協力が必要な場合もあるかもしれませんが、やりたいことがあれば、子どもといえども努力する部分は必要だと思います。
――KWNは、秋山さんにとって、どんな存在だったのでしょうか?
秋山 私には1歳半の子どもがいますが、親になって改めて思うのは、子どもたちが主体となり映像制作やそれに伴うさまざまな経験ができるKWNは素晴らしい活動であるということです。今は動画コンテンツを作るのにスマホ1台あれば誰でも簡単にできる時代です。動画コンテンツの数も世の中に溢れています。私の中学時代に比べたら、日常的に映像に触れる機会も多い中で、コンテストという形式を取り、ワークショップなどで制作支援を行ったり、機材の貸出までしてくれるプロジェクトは貴重な存在です。さらに、少しプロ寄りの話を含みながら映像制作をするのは、ものすごく価値のある経験だと思います。
映像制作の過程では、取材依頼やアポイントメント、インタビューをはじめ、文献や歴史を調べたりします。そして最終的には、伝えたいことを映像で表現するために順を追って整理をしていきます。学校の授業では学べない多くのことを経験できます。
ひと言では言い表せないのですが、大人になってから経験するようなことを、子どものうちから感じ取ることができる、とても意味のある存在だと思います。
――子ども時代から経験を積むことが成長につながると?
秋山 私たちの場合は、作品を作るために自分たちが住んでいる郷土の歴史を深掘りしたことで、普段、何気なく通っていた場所の歴史や人の想いを知ることができました。考えを深める経験をして、1つ成長できたと思います。
小中学生ぐらいでは、普通に生活しているだけなら、自分の住んでいる町について知らないことだらけだと思います。表面的に知るのではなく、時系列や関連性をもって知ることができれば、郷土愛も深まるのではないでしょうか。
――KWNが単なる1コンテストだけではないことについてはどうですか?
秋山 今回インタビューを受けるに際し、改めてKWNの活動内容を調べたのですが、映像を作ることを軸に多面的に展開していることに驚きました。コンテストという場を提供しながら、サポート面も充実している懐の深いプロジェクトだと改めて実感でき、映像に興味のない子どもでもやってみる価値があると思いました。
極論にはなりますが、コンテストだけならそれこそ勝ち負けで終わってしまいます。しかし勝ち負けだけではなく、映像制作そのものの面白さや過程の楽しさを体験しながら制作に関われたら、子どもたちへの精神的な負担も少なく、成長にも繋がりやすいと思います。
私の場合はグローバルコンテストにも参加しました。その際にインドネシアの女の子と友達になり、その後もしばらくはSNSでつながっていたのですが、そんな経験ができるのもKWNならではです。もし私の子どもが映像制作に興味があると言ったら、親の立場からもKWNへの参加を薦めるぐらい素晴らしいプロジェクトだと思います。この先も30年、40年と続いていってほしいです。
――秋山さんが参加した2006年度と2007年度は、KWN日本の草創期です。最後に後輩たちに一言お願いします。
秋山 その頃に参加していた私が、今もこうやってつながっていて、20周年企画に参加していること自体がすごいと思います。世の中的に映像制作のハードルは下がっているので、「改めてこのようなコンテストには参加しなくてもいいや」と思ってしまうかもしれませんが、参加することで、知らない世界が見えたり、自分のいる場所を知ることができます。いかに狭い場所で生きているか、自分がいかに小さいか、良くも悪くも思い知らされるかもしれません。普通の学校生活では経験できない多くのことが待ち構えています。全力で取り組めば、自分たちが納得のいく作品に仕上がりますし、成し得たことが自信にもつながると思います。
2007年度最優秀作品賞受賞作品/
2008年度グローバルコンテスト グランプリ受賞作品
長野県・東御市立東部中学校
「水は世界をめぐる」
――新聞記者時代は記者として多忙な日々を送っていた千葉さんが、KWNに参加したのは中学2年生からと伺いました。
千葉(敬称略) 友達に誘われて「面白そうだな」と軽い気持ちで参加しました。「We are from…」は私を含めて3人で制作をし、カメラやインタビュアーを持ち回りでやったのですが、まさか、どっぷりと映像制作にハマるとは最初は思っていませんでした。
――映像制作のどんなところに魅了されたのでしょうか?
千葉 新聞記者時代はもちろん、今の仕事にも関係するのですが、私の場合、人の話を聞くことがすごく面白いと感じました。自分が知らないこと、体験したことがないことを、ある種、人の話を聞くことで疑似体験するというか、その人の経験を通して私の知見が広がるのが楽しかったんです。多角的な考えをもつことが大切だと思うきったけにもなりました。
また作品を観た方が衝撃を受けたり、驚きの声を上げるのを目の当たりにしたことや、グローバルコンテストに行った時に、自分たちの作品が海外の方と話しをするきっかけになったことで、映像がもつ力を感じたのも魅了された要因の1つだと思います。
――確かに「We are from…」は、作品自体にも力を感じます。当時の制作過程を振り返っていただけますか?
千葉 この作品は、インタビューを通して、震災で苦しむ当時の福島の姿を伝えています。私自身も、中学1年生の時に被災しました。
インタビューは、震災後、学校が再開してからスタートしたので、春から夏にかけて撮りました。私が参加した時には構成はできていて、亀岡先生から映像制作の内容を聞き、インタビューもカメラもそれまで経験のないことだらけだったので、びっくりしたのを覚えています。でも、与えられた役割だけはしっかりこなそうと思いました。
――実際に参加されてどうでしたか?
千葉 インタビューをしている時に、自分以外の子どもたちが、震災でどういう体験をしてきたのか、どのくらい苦しい思いをしてきたのか、想像し得なかった話をしてくれたんですね。普段、友達としゃべっている際には、お互い震災のことにあまり触れませんでした。でもマイクを向けると、素直に自分のことを話してくれるのが印象的でした。
あるクラスメイトが、家族で県外に車で出かけた時、後ろ指を指されたという話をしてくれました。ニュースなどでは観たことがありますが、まさかこんな間近で、それも友達がそんな体験をしているのを知って衝撃を受けました。
――震災の経験は、話すことさえつらい人もいるかもしれません。インタビューをする時に、気を付けたことは何ですか?
千葉 亀岡先生からも、「もしかしたら、つらい経験をしている子もいるかもしれないから」というお話がありました。やはりそこは、3人で慎重に聞くように意識して、例えば、「話せる範囲でいいからね」と前置きをして話を聞いたりしました。
――当時は千葉さんご自身もつらい経験が多かったと思いますが、そんな状況の中で、この作品は最優秀作品賞を受賞しました。
千葉 原発事故は初めての経験だったので、当時は私を含め、みんなが不安を抱えながら生活していたと思います。クラスメイトの話から始まり、それぞれ違った大変さを抱えていることがわかり、それをストレートに伝えました。それが評価されて嬉しかったです。
――今大人になって、中学時代の活動を振り返るとどう感じますか?
千葉 私はこの前まで新聞記者として働いていましたが、その仕事に就いたきっかけにもなったと思います。面と向かって話を聞くことで、「こんなにも自分の知らない世界があったのか」と、世界が広がった感覚がありました。
現在は広報の仕事ですが、中学時代のKWNの活動は、今につながっている貴重な体験でした。
――大学時代は一次審査の審査員もしていたそうですね
千葉 はい。KWNには本当にお世話になったというか、自分の将来を考える上で大きな転機になったので、少しでも何かお手伝いができればと思い審査員を引き受けました。逆に子どもたちの作品を観て、学ばせてもらうことも多く、いい機会になりました。
――映像制作に参加する前は、学校の先生になりたかったと伺いました。
千葉 漠然とですが、そう思っていました。高校でも放送部に入って映像作品を何本か制作しましたが、当時は、人に伝える難しさに思い悩んだり、「どうすれば人に上手に伝えられるのか」と試行錯誤を繰り返したのものです。でもやはり面白くて。大学でも放送部で活動を続ける中で、「私は人の話を聞いて、それを伝える仕事をしたい」と、新聞記者の道を選びました。
中学生ぐらいだと学校を中心とした社会なので、視野も狭く、目の前のことにだけ集中しがちです。でもインタビューを通して、多様な考えをもつ人がいるとわかって、先入観にとらわれずに物事を考えられるようになりました。KWNに出会わなかったら、当時ご指導いただいた亀岡先生がいらっしゃらなかったら、もしかしたら別の道を歩んでいたかもしれません。
――新聞記者の仕事に、中学時代の経験が役立ったと感じたことはありますか?
千葉 新聞記者として取材をし、記事を書いていたのですが、行政から社会、地域ネタまで幅広く扱っていました。相手を敬う気持ちで接することが大前提で、マイクを向けたり、顔と顔を合わせることによって、改めて聴ける話があるということは中学の頃に学びました。その考えは今も持ち続けています。
また、浪江町に取材に行った際は、震災をテーマにインタビューをした経験が活かされました。何も知らない状態で話を聞くのと、苦しみやつらさを知っているのとでは明らかに違います。お話を聞く上でも、記事を書く上でも深みが増したと思います。
――現在も映像制作は続けているのですか?
千葉 新聞社も次第に動画に力をいれるようになり、中学、高校時代のことを思い出しながら、仕事で動画を撮っていました。
――千葉さんにとって大きな影響を与えたKWNですが、この活動の意義は何だと思いますか?
千葉 普段、両親や先生、友達とは、相手が私のことをある程度、知っていることを前提に話をすると思います。でもKWNに参加して、事務局の方や、他の学校の方など、私のことを全然知らない人と話をする機会がありました。そんな時に、相手にわかるように自分の言葉で話す意識が、自分の中の変化としてあったと思います。新聞社からインタビューを受けた時も、自分の言葉できちんと伝えられたと思います。
中学生ぐらいの多感な時期に、普通では経験できないことを経験ができるので、影響力は大きいと思います。将来を考える上で、選択肢が広がると感じます。私の場合は放送に関わって、「伝える」ことに興味がわきましたが、一方で、製造業に関する映像を制作したことで、その業界に興味をもち、将来もの作りに携わる仕事をする人もいるかもしれません。KWNは、いろいろな体験をすることで、視野と未来が広がる活動だと思います。
――最後に、後輩たちにメッセージをお願いします。
千葉 自分が面白そうだと思ったらぜひ追求してほしいです。私も最初は何となく面白そうと思ったのが、ここまで来ています。面白いと感じた中に、ちょっとでもキラッと光るような何かがあれば、将来につながるかもしれません。面白いと感じることを見つけて、取材や撮影を体験し、周りの友達にも楽しさを伝えれば仲間も増えると思います。この連鎖は続いていくと思うので、ぜひ自分が面白いと思うことを仲間と共有してください。
「Carry that weight」
(2018年度/福島県・いわき市立平第三中学校)
「大学時代に一次審査の審査員をしていた時の作品です。小学校低学年の子が持っているランドセルが重たいという話から始まるのですが、その重みが戦争の重みに繋がるストーリーでした。“そんな繋げ方があるのか”と、衝撃を覚えました」
2011年度 最優秀作品賞受賞作品
福島県・いわき市立磐崎中学校
「We are from・・・」
――被災したのが小学校6年生の時だったそうですね。
尾形(敬称略) 被災後すぐに、母の実家がある隣町に避難しました。陸前高田市内ではあったのですが、中学1年の1学期は隣町の中学校に通いました。そして2学期から、本来通うはずだった、第一中学校、現在の高田第一中学校に戻った形です。その頃には、避難していた友達もだいぶ戻ってきていました。被災後、約半年ぶりに顔を見て、すごく嬉しい気持ちになった記憶があります。
母の実家から通学していたので、毎朝、父が車で学校まで送ってくれました。当時、日常とは違う毎日に不安を感じていたかどうかは、あまり覚えていませんが、学校に行けば仲のいい友達がいたので安心はしていたと思います。
――被災地の子どもたちを対象とした復興支援プログラム「きっと わらえる 2021(※)」が母校で開催されたのは、2012年9月26日です。当時のことを覚えていますか?
尾形 当時はいろいろな支援やイベントが続いたのですが、その中の1つに学校に給水車が来たことがありました。そのお礼の手紙をパナソニックの役員の方宛てに送ったのがきっかけで、第一中学校で「きっと わらえる 2021」が行われたそうです。
当日は、その役員の方も学校に来られて、「夢を叶える」をテーマに特別授業を行ってくれました。私たち中2の生徒75人が参加して、「今、つたえたいこと」をテーマに10人1チームとなって映像を撮ったり、10年後の自分に動画メッセージを残す「未来へのメッセージ」をみんなで制作しました。当時、未来に向けてとか、自分の将来のことを考える余裕はなかったと思いますが、「こんなこともやるんだ」「面白そうだな」「映像制作なんてやったことないけど大丈夫かな」といった気持ちが入り混じっていた気がします。
――どんな思い出が残っていますか?
尾形 あの時は、演者はもちろんですけど、カメラや音声も自分たちでやったのがすごく新鮮でした。というのも、震災支援でいろいろな貴重な体験が数多くありましたが、ほとんどが支援を受けるだけで、自分たちが動くことはありませんでした。語弊はありますが、いつも準備をされて、私たちはもてなされている感覚でした。でも「きっと わらえる 2021」では、中学生である自分たち自らカメラを回したり、インタビューを受けたりしたので、夢中になった記憶があります。
そういえば、演者の人たちはみんな恥ずかしがっていました。演じるというか、演技ではないのですが、カメラに向かって話すことなんて初めてだったので、みんな照れていたような……。でも心から楽しんでいたのも確かです。
――映像制作「今、つたえたいこと」で、どんなことを語ったか覚えていますか?
尾形 その時の現状について話したとは思うのですが、正直、よく覚えていません。経験したことのない体験をして、たぶん、こうして生きています的なことを話した気がします。
――2019年1月13日に、成人式のタイミングで映像タイムカプセル「未来へのメッセージ」の開封式が実施されました。
尾形 成人式のタイミングで同窓会も兼ねていたので、集まりもよく、中学2年75名中、53名が参加しました。当時の佐々木校長先生をはじめ、先生方も会場に来られて、久しぶりに友達や先生に会えて嬉しかったです。思い出話やバカ話ですごく盛り上がりました。
「10年後の自分へ」のメッセージは1人ずつ流れたのですが、みんな20歳になっていたので、恥ずかしがる人がほとんどでした。
自分のメッセージも会場で流れましたが、観るまでは完全に何を言ったか忘れていました。10年後はこうあってほしいみたいなメッセージで、言葉に嘘は感じられず、「あの時の自分は精一杯頑張っていたんだな」という感傷的な気持ちというか。スクリーンいっぱいに自分の顔が映し出されるので、私も恥ずかしかったのですが、同時に昔の自分が誇らしくもありました。他の人たちも、思うところはいろいろあったと思います。
――開封式でのみなさんの反応はいかがでした?
尾形 当時は慌ただしい毎日を送っていたので、映像タイムカプセルのことを忘れていた人も多かったようです。映像を観て恥ずかしがってはいても、懐かしさを感じていました。写真や文章はあっても、映像が残っているケースは少ないので、昔の映像が残っていたことに対してみんな喜んでいました。
――この企画に参加したことが、その後の人生に、何か影響を与えたと思いますが?
尾形 影響はあったと思います。開封式で映像を観たのは大学生の時で、すでに地元から離れていたのですが、実家に帰るたびに風景が変わっていて。子ども時代の街並みはほとんど残っていない状況でした。その中で、中学時代の映像を観て、フラッシュバックというか、懐かしい思い出が数多く甦りました。映像ではジャージを着ていたのですが、当時の生活や支援物資のこと、みんなで合唱をしたこととか思い出し、「これからも、もっともっと頑張って生きていかなければ」と、勇気をもらえた感じがしました。
10年後の自分へのメッセージを撮った時も、未来のビジョンなんて考えたことのある人なんていなかったはずです。ですから、どんなメッセージを残すか、考えるのはみんな難しかったと思います。でも、将来の道筋みたいなものを自分の中で考えるきっかけになった人もいたと思います。
――当時をフラッシュバックということですが、つらかった気持ちも思い出したりはしませんでしたか?
尾形 私はなかったです。周りには家をなくした友達がほとんどで、同じ境遇の元、一緒に頑張って生活をしていました。「自分だけがこんな不幸で」という人もいなかったですし、どちらかといえば、頑張っていた時の強い気持ちの方が思い出としても残っています。
――「きっと わらえる 2021」に参加して良かったと?
尾形 はい、良かったです。「今、つたえたいこと」については、映像制作という1つのイベントとして捉えていますが、映像タイムカプセル「未来へのメッセージ」は、先ほど言ったように、映像記録として残ることが本当に貴重であり、ありがたいと思っています。友達のメッセージ映像を観て、みんなはこんなことを考えていたんだと知ることができたのも、すごくよかったです。
当時は多くの企業から支援を受けていましたし、中学生だったので、主催者がどこなのかも正直あまり気にしませんでしたが、大人になった今、改めて考えても、「きっと わらえる 2021」に参加してよかったと心から感じています。
※復興支援プログラム「きっと わらえる 2021」は、パナソニックが映像制作を通じて被災地の子どもたちに笑顔と元気を取り戻してもらおうと企画されたプログラムです。当社が長年取り組んでいる映像制作支援プログラム「キッド・ウィットネス・ニュース」のノウハウを活用したもので、2011年9月13日からスタートしました。