1918年(大正7年)

松下電気器具製作所を創立

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創業して数年後の若い3人。後列左から、松下幸之助、井植歳男、松下むめの。

3人からの小さなスタート

1918年3月7日、幸之助は「松下電気器具製作所」を創設した。この日、幸之助は猪飼野の家では手狭なので、大阪市北区西野田大開町(現、福島区大開2丁目)の2階建の借家に移った。23歳の所主・松下幸之助、22歳の妻・むめの、15歳の義弟・井植歳男、若い3人だけの小さなスタートであった。

2階建の階下3室を工場に改造し、小型プレス機2台を置いて作業をした。扇風機の碍盤を製造するかたわら、所主は便利で品質のよい配線器具を作れば、一般の家庭にはいくらでも需要があると確信し、夜遅くまで配線器具の考案に没頭した。

そしてついに最初の製品「アタッチメントプラグ」、続いて「2灯用差し込みプラグ」を製作、発売した。これらは一般製品より品質がよく、価格も3~5割安かったので、評判になり、よく売れた。同年末、従業員は20人を数えるまでに成長した。

販売については当初、総代理店にまかせ、生産に専念することにしていたが、翌年、激しい値下げ競争に巻き込まれ、売上が急減した。そこで、所主は思い切って問屋と直接取り引きをすることにし、自ら販路の拡張に努めた。その結果、それまで以上に商品が売れ始め、ようやく危機を脱することができた。

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1918年3月7日、大阪の大開町で松下電気器具製作所を創立した創業の家

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アタッチメントプラグ(左)と2灯用差込クラスター(右)