1952年(昭和27年)

フィリップス社と技術提携

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フィリップス社との技術提携に調印をする松下社長

「経営指導料」を主張

技術力を強化するための提携先としてはいくつかの候補があったが、最終的には戦前から取引があり、戦後も先方から取引再開を申し込まれていたオランダのフィリップス社と交渉を進めることになった。

これはフィリップス社がすぐれた技術を持ち、経営内容が良いこととともに、日本より国土が狭く資源が乏しい中で、電球の製造からスタートして、世界有数の電子機器メーカーに成長した60年の歴史に学ぶべき点が多いと思われたからであった。

しかし交渉は難航した。先方は技術援助の条件として共同出資の子会社を設立することを提案してきたが、当時の資本金5億円に対し、その子会社の資本金は6億6000万円。フィリップス社は30%を出資するものの、それは同社が受け取る予定の技術指導料で充当する、というものであった。

加えて、技術指導料として売上の7%を要求してきた。アメリカのメーカーなら3%ですむ。ところが先方は「高くてもそれだけの価値はある。責任をもって技術指導する」と譲らない。そこで社長は「技術に価値があるなら、わが社の経営にも価値がある」と経営指導料を要求した。

そうした交渉の末、両社の「結婚」によって、1952年12月、松下電子工業が誕生した。

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建設中の松下電子工業

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完成した蛍光灯工場

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完成した電球工場