1970年(昭和45年)

万博に松下館を出展

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天平時代の建築様式を取り入れた松下館とコンパニオン

5000年後の人々にメッセージ

日本万国博覧会が「人類の進歩と調和」の統一テーマのもとに、1970年3月から半年間、大阪の千里丘陵で開催された。

「伝統と開発・5000年後の人びとに」をテーマに「松下館」を出展した。天平時代の建築様式をとりいれた建物の前棟にタイム・カプセルEXPO’70を展示し、後棟にはお茶室を設けて、訪れる人びとに日本の伝統のよさを味わってもらった。会期中、松下館の来館者は760万人にも及んだ。

タイム・カプセルは、1970年時点の文化を、2,098点に厳選した物品や記録で5000年後の人類に残そうというもの。毎日新聞社との共同事業で、技術委員会、選定委員会が組織され、各分野の最高の知恵が結集された。これらは、最先端の保存技術によってカプセルに収納され、大阪城公園に埋設された。

「昭和元禄」と呼ばれた、浮かれた風潮も憂慮される中で57ヵ月続いた「いざなぎ景気」がこの年7月で終わり、後半から景気は後退する。

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5000年後の人々にメッセージを残すタイム・カプセル

消費者問題に直面

「お客様第一」の心に徹して対応

1960年代後半から、日本経済は高度成長期に入ったが、一方では、消費者運動や公害問題などが表面化してきた。同時に、国際的には貿易摩擦や通貨変動などが発生して、厳しい対応が迫られるようになった。

1967年7月、公正取引委員会が再販問題で当社に勧告を行ったが、これを拒否。9月から審判が開始された。

1968年ごろから、日米経済関係の緊張とともに、カラーテレビの対米輸出価格が問題となっていたが、1970年、国内では消費者団体が、家電製品についてメーカーの表示価格と市場の実売価格との差が著しいとして、問題を投げかけた。二重価格問題の発生である。これが、現行商品の値下げ要求、カラーテレビ買い控え運動、さらにトップメーカーに対する牽制としての、当社全製品のボイコット運動へと展開していった。

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電子レンジを使ったホームパーティー。需要家へ製品の性能や機能、使い方を分かりやすく説明した。

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走る消費者相談室「いずみ号」は全国各地を巡回し、需要家の率直な要望や苦情をお聞きした。

これに対し、誠心誠意、意のあるところを説明し、消費者の理解を得ようと努めた。そして1970年末に「現金正価」の表示を「¥」表示(のちに「標準価格」)に改めるとともに、翌年の年初にカラーテレビ、白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫の各新製品の価格を大幅に引き下げる「新流通体制」を断行した。これにより表示価格と実売価格との差は一挙に圧縮され、消費者の価格に対する不信感はぬぐい去られた。その後、4製品以外についても、全面的に新流通体制に移行し、買い控え運動はようやく終息した。

1971年3月、かねて公取委で取り上げられていた審判も同意審決により解決をみた。

わが社はこれら一連の出来事の反省を踏まえて、消費者からの製品に関する相談や、電気器具の安全知識、正しい使用法の普及、苦情対応など、さまざまな要望に対処するため、1971年、サービス本部に「消費者相談室」を設置した。

また全国のショウルームに「消費者ご相談センター」を設置、全国の営業所に「走る消費者相談室・いずみ号」を配車するなど、消費者へのサービスや情報提供をおこなった。あわせて消費者の意識、意向、要求など市場の情報収集にも努めた。翌年には受付後24時間以内の修理完了をめざす意欲的なサービス向上運動を展開した。

消費者の立場に立って各種の厳しいテストをより多角的に実施するため、製品検査本部は、1976年、従来の2倍の広さを持つ新社屋に移転し、業務を開始した。その一つとして、家庭の主婦(パナモニター)によって常時、家電製品の性能や使い勝手など、厳重なテストと評価を行うことも始めた。

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製品検査本部・包装検査所では落下テストなど厳しいテストを繰り返し、輸送途中の荷傷みなどにも備えた。