1986年(昭和61年)

谷井副社長が社長に就任

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披露パーティーでの松下正治会長、山下相談役、谷井社長。

「ヒューマン・エレクトロニクス」を旗印に

1985年9月、先進5カ国(G5)が為替の協調介入で合意。円相場は急騰し、日本経済は円高による不況期に入る。そうした情勢下、1986年2月に山下俊彦が社長を退任して相談役に、谷井昭雄が社長に就任した。 「ACTION-61」を先頭に立って指揮してきた谷井社長は、就任後ただちに「事業構造の改革」への取り組みを強く要望した。そのため5月には、OA、ニューAV、FA、半導体を4重点事業に指定、推進担当の委嘱を行った。

1987年には、「ヒューマン・エレクトロニクス」の観点から、その具現化を目指して人間性と先端技術を融合させ、新しい商品文化を創造する「強い商品づくり」を推進した。 また同年、グループの決算期を統一し、翌年には人事方針を改定するなどの改革に取り組んだ。 さらに激変する市場の変化に迅速に対応するため、1987年11月、営業体制を従来の商品別から顧客別・地域別に再編し、リビング、システム、インダストリーの3営業本部を設置した。