電池事業のはじまり

はじめに

パナソニック エナジー株式会社は2022年4月、パナソニックグループの電池部門が結集し、誕生しました。パナソニック エナジーは100年にわたる電池事業の歴史から成り立っている会社です。
1923年の自転車の電灯用乾電池から始まり、ニカド電池、ニッケル水素電池、民生用リチウムイオン電池など、業界初の技術を次々と生み出し、電池の進化をけん引してきました。2008年には環境負荷低減に大きく貢献する電気自動車(EV)向けの円筒形リチウムイオン電池を量産化し、これまでに累計約130億セルを供給してきました。
1世紀にわたり磨き上げてきた「技術力」、顧客・社会の課題を根本から解決する「市場創出力」、日々積み重ねている「信頼と実績」を強みとし、多くのステークホルダーの皆さまを巻き込んで、“エナジー”による課題解決力を上げていきます。
エナジーの利用範囲が異次元の広がりを見せる中、人類共通の課題に対してパナソニック エナジーだからこそできること、先頭に立って解決すべきことは、無限にあります。「未来を変えるエナジー」という誇りと、「人類として、やるしかない」という気概。これらを原動力に、全世界が求めている「幸せの追求と持続可能な環境が矛盾なく調和した社会」の実現に向け、新たな価値を創造していきます。

<協力>パナソニック エナジー株式会社 CEO 只信 一生(Panasonic ENERGY 統合レポート2023より抜粋)

画像:パナソニックエナジーの目指す姿。Our Missionは、幸せの追求と持続可能な環境が矛盾なく調和した社会の実現。Our Visionは、未来を変えるエナジーになる。Our Willは、人類として、やるしかない。

ふたりの創業者~松下幸之助と井植歳男~

松下電器の創業者 松下幸之助(1894 - 1989)と三洋電機の創業者 井植歳男(1902 - 1969)。乾電池に始まる当社の電池事業の礎を築いたのは、幸之助と井植、二人の創業者に他なりません。
二人の出会いは、松下電器創業前年の1917年にさかのぼります。この年、自ら改良した電灯用ソケットの事業化を志して大阪電燈を辞めた幸之助は、妻むめのの弟、井植を故郷の淡路島から大阪に呼び寄せ、ソケット製造の準備に着手しました。その時以来、井植が松下電器を去る1946年まで、二人は苦楽をともにし、まさしく二人三脚で歩んできたのです。
1920年代から1930年代にかけて、幸之助は電池式ランプの大増販を通じて、乾電池事業を強く、大きく育てていきました。そして1935年には松下乾電池株式会社が誕生。その初代経営責任者を務めたのが井植でした。
松下電器を去った井植は1947年に三洋電機を創業します。以降、松下電器~パナソニック(2008年に社名変更)と三洋電機は、電池事業においても、それぞれが独自の強みを培い、積み重ねていきました。そうした両社が、井植の独立から半世紀余りを経た2011年、縁あって一つになったのです。幸之助と井植、二人の絆が両社を引き寄せたともいえるでしょう。

写真:松下幸之助、井植歳男、松下むめのが映った集合写真、1919年撮影
後列左から、松下幸之助、井植歳男、松下むめの 松下電器創業の翌年、1919年撮影
写真:大開町時代最後の初荷式にて並んで映る井植歳男と松下幸之助、1933年1月撮影

井植歳男(左)と松下幸之助(右)1933年1月、大開町時代最後の初荷式にて

写真:三洋電機 洲本工場で松下幸之助夫妻らを案内する井植歳男、1967年撮影

1967年、三洋電機 洲本工場で松下幸之助夫妻らを案内する井植歳男(右端)

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