<プロフィール>
多摩市立青陵中学校
第3学年主任
柳田 光紀先生
「中学生に起業家精神をどう伝えるか」——
アントレプレナーシップ教育の導入は、教員にとっても未知の挑戦だ。しかも、その対象が中学生段階であればなおさら難しい。子どもたちは、まだ「働くとは何か」「社会課題とは何か」といった問いに直面する前の段階にいるからだ。そんな難題に、教員と生徒がともに向き合っているのが、東京都多摩市にある青陵中学校。試行錯誤の3年間の中で、アントレプレナーシップ教育とキャリア教育を平行して進める取り組みが広がってきた。その実践の要となっているのが、「私の行き方発見プログラム」である。企業の存在意義や社会課題との関係性を、わかりやすいステップで学べるこの教材は、生徒の思考の枠を広げるだけでなく、教員の不安を和らげ、学校全体の学びの質を高めている。
本記事では、青陵中学校の学年主任・柳田光紀先生の実践を通して、「私の行き方発見プログラム」とアントレプレナーシップ教育が、生徒や先生たちにどのようにキャリアを考えるきっかけを与え、意欲を引き出していったのかをご紹介します。
「正直に言えば、最初は任されたからです(笑)。23年度に東京都の教育プログラムに学校が指定されたから、アントレプレナーシップ教育の主任をやってくれと。しかも僕自身、起業なんて考えたこともなかったので、何から始めていいか全然分かりませんでした。」(柳田先生)
2023年度、東京都の起業家教育プログラムの導入支援校に指定された。起業家教育プログラムは、50分×19コマからなるプログラムで、青陵中学校では「多摩市の魅力をPRするグッズを作ろう」をテーマに、1年生(現在の3年生)が2、3年生をお客様に見立て、100円ショップの材料を使って商品を企画・製造、販売、決算報告まで行った。
「いわゆる『起業ごっこ』でした。商品は全部売れたのに、振り返ってみたら利益ゼロ。あまりに無計画に値下げを連発した結果でした。最終的に子どもたちに何が残ったかというと『会社を作って面白かったな』ということだけだったんですね。このままやっていて力がつくのだろうか? そもそもアントレプレナーシップ教育で身につけさせたい力とはなんだろうと、校内研修で他の教員たちと話し合いました。
アントレプレナーシップ教育とは、起業する人を育てるということだけでなく、起業家精神を育てるということではないか。そして、起業家精神というのはコミュニケーション能力やリーダーシップ、プレゼン力を指すことだと思いました。
しかし、今の中学生にいきなりアントレプレナーシップが必要なんだよと言っても難しい。どうすれば、子どもたちがより主体的に学びに向かうようになるのか。そんな問いを持ちながら日々模索していた中で、『私の行き方発見プログラム』に出会いました。」(柳田先生)
「本校では総合的な学習の時間の中で、アントレプレナーシップ教育に取り組んでいます。2年生では職場体験があるので、この活動をどのようにアントレプレナーシップにつなげていこうかと悩んでいたタイミングで『私の行き方発見プログラム』に出会いました。せっかく職場に行くのに、子どもたちがやらされて終わるのはもったいない。もっと自分で問いを持って主体的に向かう体験にできないかと思っていたんです。」(柳田先生)
「私の行き方発見プログラム」は、企業の存在意義や価値創造の概念を、実在の企業の事例やSDGsの観点とともに紹介する教材だ。教員主導の教え込みではなく、生徒の内側から問いや関心を引き出すように設計されている。
「アントレプレナーシップ教育と職場体験をつなげるためには、会社の存在意義や社会課題との向き合い方などの視点が重要だと考えました。そこで、職場体験前に『私の行き方発見プログラム』に取り組みました。基本編プログラム①は、社会には多様な職業・職種があることに気づき、それぞれの役割の人が連携しながら会社が成り立っていることを理解する内容で、1コマしっかり時間をとり学びました。
プログラム②・③は、社会や仕事の見方を知る意味でまとめて1コマで実施しました。プログラム②では、企業は単に利益を追求する場ではなく、『なぜその会社は存在しているのか』『どんな社会課題と向き合っているのか』といった問いを、実例とともに生徒と一緒に考えていきました。
プログラム③では、生徒自身の価値観や関心を言語化し、『自分はどんな働き方をしたいのか』『何にやりがいを感じるのか』を探っていきました。子どもたちにとっては、自分の考えや感じたことを表現するのがなかなか難しいのですが、問いかけとワークがよく練られている教材だったので、自然と自分ごととして考えられるようになっていったと思います。
そしてプログラム④では、自分が描いた将来像と、今の学びとのつながりを意識させていきました。将来のことは、子どもたちには遠くて漠然としている。しかし、企業が取り組む社会課題と自分たちの生活や価値観を重ね合わせていくうちに、『自分は何を学ぶべきだろう』と、少しずつ考えるようになりました。」(柳田先生)
※柳本先生作成資料一部抜粋
3日間にわたる職場体験の後、「事後提案」の場を設けた。職場体験のその先にこそ学びの本質があると考えたからだ。
「それまでは『どんな仕事か』『この仕事の魅力は何か』の報告会で終わっていたのですが、そこに社会課題の視点を入れるようにしました。職場で見つけた課題を、自分たちならどう解決できるか。そこを考える時間をしっかりとるようにしました。」(柳田先生)
子どもたちにとって、企業が取り組んでいる社会課題の現状を知り、自分の目で見たこと、聞いたことをもとに自分の言葉で発表することで、社会との接点がリアルに感じられるようになる。特に、企業の方から「うちでも温暖化対策しているんだよ」「食品ロスを減らすためにこんな工夫をしているよ」という話を聞いた生徒たちは、「大きな社会課題が、実は身近な場所でも考えられている」と腑に落ちたという。
「そういう話を子どもたちが聞くことで、『自分たちも社会課題の解決に関われるんだ』という気持ちが芽生える。そこからが本当の意味でのキャリア教育、そしてアントレプレナーシップ教育のスタートだったと思っています。」(柳田先生)
この振り返りと提案の時間が、生徒たちにとって考える力や社会と自分をつなぐ力を育む貴重な機会になっている。次の行動への一歩を踏み出す原動力として、学校全体で大切にされている時間だ。
「最初は『気が進まない』と言っていた生徒が、職場体験を通じて『企業にも悩みがあるんだ』と気づいてから、どんどん意見を言うようになったんです。」(柳田先生)
たとえば、食品ロス問題に対しては、賞味期限と消費期限の中間に「賞利期限(しょうりきげん)」という新しい概念を設けてはどうかという提案も出た。これは「まだ食べられるのに捨ててしまうのはもったいない」という素朴な思いを、社会的課題として捉えなおした発想である。
また、高齢者施設での体験から「元気な高齢者がもっと働けるような社会にすべきだ」と考え、「定年を80歳に引き上げてはどうか」という意見もあがった。若者と高齢者の共働による知識継承と労働力確保という観点から、社会全体の仕組みにまで思いを巡らせている。
こうした中で同級生の発表に刺激を受け、「もっと考えたい」「自分も意見を言いたい」と前向きになる生徒が確実に増えている。
「どの子にも『社会を変えたい』という気持ちはある。ただ、それを引き出すきっかけが必要なんです。」(柳田先生)
ICT世代である生徒たちは「調べればすぐ答えが出る」ことに慣れており、「答えのない問い」への粘り強さを持ちづらい傾向があるという。しかし、「なぜこの課題を考えるのか」「自分に何ができるのか」という探究を繰り返すうちに、徐々に自ら考える力が育つ。さらに、発表機会の充実がその変容を後押ししている。
「発表は、意見を持つきっかけになります。誰かに聞かれることを意識するだけで考えが深まるんです。」(柳田先生)
実際、原稿を読むのではなく自分の言葉で語る力が育ち、以前は発言をためらっていた生徒たちも前に出て話すようになってきている。社会課題を「自分ごと」として捉えるプロセスの中で、青陵中学校の生徒たちは確実に変わりつつある。
「『私の行き方発見プログラム』発展編は、まだ実施していないのですが、すごく関心があります。SDGsの部分は今後も活用したいですし、社会課題の解決や今後の社会をどう描くかを考える上で非常に有用な教材だと感じています。この教材は、現実の社会と未来の社会の両方をつなげて考える視点を育ててくれる。2050年の社会を想像し、自分に何ができるかを問い直す。そういう深い探究につながることを期待しています。」(柳田先生)
発展編を通して、社会課題に対する「知る・考える・提案する」のサイクルを、より広い視点で深めていくことを目指している。修学旅行後には、探究のまとめとして取り組む予定となっている。
また、これまでの学びを自分の町の未来へと広げるべく「2050年の多摩市をより良くするには?」というテーマで発表を行うことを予定している。学年末のプレゼンテーションでは、他の学年や先生、保護者も招くことで、生徒たちに社会に向けて発信するという意欲も芽生えている。
こうした3年間の積み重ねによって、「自ら問い、考え、発信する学び」へと少しずつ育っている。この主体的な姿勢こそが、アントレプレナーシップ教育の目指すところと言えるだろう。
「中学生のキャリア教育は、進路指導や職業調べだけではありません。『どんな大人になりたいか』『どんな社会をつくりたいか』と問い続けること、それが一番大事だと思っています。それが、ひいてはアントレプレナーシップを育むことにもつながります。
答えのない問いに向き合い、悩みながらも自分の言葉で社会と自分の未来を語ろうとする姿勢を育むには、環境ときっかけが必要です。青陵中学校では、学年全体で『一人ひとりが主役になれる学年にしよう』という共通の旗印のもと、仲間同士が応援し合い、安心して自分の意見を表現できる土壌をつくり続けてきました。
『私の行き方発見プログラム』は、そうした環境づくりを後押しし、生徒たちに『社会とつながる実感』と『自分の可能性への気づき』を届けてくれる教材となりました。社会課題を他人ごとでなく自分ごととして捉え始めた子どもたちは、そこから自分の未来への問いを立てはじめています。」(柳田先生)
今回の取材を通して強く感じたのは、「私の行き方発見プログラム」の活用が単なる教材の使用にとどまらず、生徒の思考や行動を大きく変えるきっかけとなっているということでした。そして、その背景には、常に先生方の熱意ある働きかけがあることを、あらためて実感する機会となりました。
多くの図書に加え設置された「アントレプレナーシップの本棚」
◇WEBサイトにて「私の行き方発見プログラム」教材の各プログラムを動画にて紹介しています。ぜひご覧ください。
私の行き方発見プログラム - パナソニックキャリア教育プログラム




